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15263村 【3/26 5:00開始】クソゲーマーに望まれし99人村第四弾

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生存 5人
幸運の鳥足 モミジ
ID: 鳥足
(人生の勝利者)
ガーゴイル
百面相 ムジナ
ID: Owl
(人生の勝利者)
プレデター
・A・
ID: ktzw
(人生の勝利者)
蜥蜴
暴露の悪魔 ラーペ
ID: Salmonberry
(人生の勝利者)
黒狼(富者)(狐火)
迷子 コーデリア
ID: dolce
(人生の勝利者)
禿鷹
犠牲 66人
交通安全記 エーリカ
ID: イヅル
幽霊
聖堂猫 ガブリエル
ID: Tnkc
求道者
魔性 アルル
ID: nnsamisa
(人生の勝利者)
外道
少女 ユーナ
ID: らーめん
(人生の勝利者)
影狼
聖品管理 ガリラヤ
ID: Selen
聖女
挿絵画家 キルステン
ID: muridana
ヒーロー
奇術師 ウェンディ
ID: エイジャックス
帽子屋(屍者)(狼火)
お婆ちゃん ベンダ
ID: ラベンダ
(人生の勝利者)
餓狼
司書見習い アニス
ID: suppi3
闘神
牛男爵(元ゆーろ)
ID: 牛男爵
銀狼
開発主任 ヴィクトル
ID: さっちゃん
付喪神
魂の純白 フィオナ
ID: 翔鶴嫁
八咫烏(恋人)
鉄華団団長代理 フリージア
ID: sasa1086
賢者
バーテンダー アルマン
ID: 芝犬
(人生の勝利者)
爆弾魔
魔女 マーヤ
ID: doremi
裁定者(恋人)
辺境 ルーブ
ID: tetenoto
赤ずきん(屍者)
宮廷魔術師 クヴァルツ
ID: 美月
(人生の勝利者)
朔狼(鎮静)
士官 ルスラン
ID: 晋助
殺人鬼
霊感少年 イリル
ID: はねねこ
祈祷師
羊飼い アマレット
ID: kotori_des
村人
聖職者 ミッキィ
ID: Pikanyuu50
淫魔
似非ありぴゅ
ID: meryl09
王様
花嫁女神 イルマルカ
ID: Haik
(屍者)
人外 ニコロン
ID: にころ
一匹狼
教育係 キネレト
ID: mitomito
(人生の勝利者)
反魂者
QB
ID: lam3
小悪魔
船長 コバ
ID: 船長
中身占い師
🐰脱不憫🐰 ドール
ID: doruid0123
ドラキュラ(狼火)
右審問官 C猫
ID: C猫
異性装 ヴェルナー
ID: sen69
(人生の勝利者)
冥狼
花粉症 ラシン
ID: vanish_death
司書(下僕)
ネットアイドル アリス
ID: andante
淫魔(恋人)(屍者)
弾劾者 バルク
ID: inukai
学園伝説 リーネリス
ID: しらたま団子
(恋人)(仇敵)(屍者)
メイドロボボボボボ
ID:
妖狐
水質管理 ジョゼ
ID: カッパ
蟒蛇(仇敵)
龍の子太郎
ID: hitaki1101
キューピッド
郵便局員 サワラ
(元からんころん アンナ)
ID: あやたか
占い師(絆)
幸せを運ぶ者 レナ
ID: 星守人
女騎士(従者)
数合わせ代表 モブメガネ
ID: Haruno14
(人生の勝利者)
死神
(元イレギュラー)
蘇りしロック歌手 肉田裕也
ID: zeno
灰かぶり
からんころん アンナ
(元郵便局員 サワラ)
ID: padom
犬神(屍者)(悪霊)
騎士見習い ルーファス
ID: TUKIN
医師
手品師 ピーター
ID: のす
(人生の勝利者)
印狼(愛人)(屍者)
異邦人 スバル
ID: はいる
陰陽師(屍者)
猫娘 エルミィ
ID: 超お嬢
侠客(屍者)
ベルモンド・バンデラス
ID: Mimizuku
銀狼(屍者)
すくすく
ID: hakoniwa
ヒーロー
祭壇警護 ゼノン
ID: とーる
いばら姫
春の妖精 ニナエル
ID: noel
王様(屍者)
過眠症 ルース
ID: エルラン
王様(屍者)
魔物憑き アナベル
ID: VyuayaV
おこ
海兵 スティーグ
ID: 渡辺
契約者(絆)
甘党 オルネア
ID: jojoii
忠犬(従者)(絆)
私は犬派 シルビア
ID: さいら
ハンター(愛人)
100% 今日は
ID: kyowa
王様(仇敵)(屍者)
刻の機神 ロス
ID: BOU
烙印者
教祖 かぐや
ID: magatori2
聖女
The himaginater アサガオ
ID: Aki
ライバル(仇敵)(罠)
ポケGOの民 仁
ID: mopparajin
中身占い師
紅の遊撃隊 シャルロッテ
ID: とも
夜廻
付き人 Sora
ID: SoraJinrou
生還者(仇敵)(屍者)
男の娘 ひめ
ID: inari
悪女(恋人)(屍者)
異国の婦人 ユリコ
ID: DIGIMON
蝙蝠(恋人)(屍者)
 
ID: ドラロ
(人生の勝利者)
インチキ占い師(富者)
99連ガチャURアイドル れんか
ID: musorenka
(人生の勝利者)
靴磨き
処刑 28人
対魔忍 グローリア
ID: 瀬笈葉
(人生の勝利者)
毒狼(絆)(屍者)
歌い手 ミニュリン
ID: minyu444
(人生の勝利者)
刻狼(屍者)
ドラマ好き ルージュ
ID: turugi
(人生の勝利者)
熱狼(屍者)
ろろいのろい ロイス
ID: ロイス
(人生の勝利者)
迅狼(屍者)
天耳通 フーゴ
ID: makaron256
(人生の勝利者)
骸狼
←こいつちょいぶさで草
ID: nyaonix♂
(人生の勝利者)
呪狼
絶対勝利の騎士 サザナミ
ID: sazanami
(人生の勝利者)
インチキ巫女
メルゴーの乳母
ID: illyankash
(人生の勝利者)
冥狼(屍者)
黒の眷属 アルカード
ID: kurone
(人生の勝利者)
工作員(屍者)
学園伝説 カズマーン
ID: 一真
(人生の勝利者)
子連れ狼(屍者)
白の使徒 クルス
ID: tom928
村人
従僕 ジュード
ID: トマソン
(人生の勝利者)
送り狼(屍者)
鈍感 ウォーカー
ID: ryomal
(人生の勝利者)
黒狼(屍者)
ペテン師 シルヴァーノ
ID: たたた
阿修羅(仇敵)(屍者)
狼少年 セルヴェ
ID: nisei1014
鮮血鬼(屍者)
姫 ミーア
ID: milkytaste
(人生の勝利者)
鬼畜(屍者)
天上天下審問官 ヤユヨバル
ID: yukiutuno
純血鬼(屍者)
破門された守門 輝音
ID: 輝音#人狼NET113564
調合士(罠)
行商人 ウォン
ID: 葉隠
純血鬼
諜報員 イリーナ
ID: Miora525
(人生の勝利者)
人狼
(元インチキ占い師)
初級者ああずなぶる
ID: HAL8811
天人
暗い森 マリア
ID: 紗紋
王様(屍者)
平成最後の萌えフェステイバルガール フィア
ID: ほうほう
祈祷師
侍祭 サマリア
ID: reiarui
和尚
無表情 ロイ
ID: daic
刑部狸
聖歌隊員 レティーシャ
ID: 有希
邪気眼使い
読師 アリエル
ID: marina289
(人生の勝利者)
クラムボン
墓守の娘 リコチェット
ID: すづき
(人生の勝利者)
無法者
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^190 絶対勝利の騎士 サザナミ 2019/03/29 03:10:33
ね、ねむい
^191 教育係 キネレト 2019/03/29 03:10:50
ね、ねて!
^192 絶対勝利の騎士 サザナミ 2019/03/29 03:11:08
戦わなければならない
^193 教育係 キネレト 2019/03/29 03:12:18
俺たちが戦って(貼って)いるんだ!
^194 絶対勝利の騎士 サザナミ 2019/03/29 03:12:46
ワッショイワッショイ!!!
^195 教育係 キネレト 2019/03/29 03:13:10
ワッショイワッショイ!!!
^196 絶対勝利の騎士 サザナミ 2019/03/29 03:13:29
ワッショイ!!!ワッショイ!!!ワッショイ!!!ワッショイ!!!
^197 教育係 キネレト 2019/03/29 03:14:28
後から読む人ごめんなワッショイ!
-268 教育係 キネレト 2019/03/29 03:15:04
今更口調変えてるのですけど、窓で名前だしちゃったからなー
迂闊でした。うぐぐ。
^198 教育係 キネレト 2019/03/29 03:15:46
いやー覗かれてるからなー仕方ないナー
^199 絶対勝利の騎士 サザナミ 2019/03/29 03:16:30
トロッコ
芥川龍之介



 小田原熱海あたみ間に、軽便鉄道敷設ふせつの工事が始まったのは、良平りょうへいの八つの年だった。良平は毎日村外はずれへ、その工事を見物に行った。工事を――といったところが、唯ただトロッコで土を運搬する――それが面白さに見に行ったのである。
 トロッコの上には土工が二人、土を積んだ後うしろに佇たたずんでいる。トロッコは山を下くだるのだから、人手を借りずに走って来る。煽あおるように車台が動いたり、土工の袢天はんてんの裾すそがひらついたり、細い線路がしなったり――良平はそんなけしきを眺ながめながら、土工になりたいと思う事がある。せめては一度でも土工と一しょに、トロッコへ乗りたいと思う事もある。トロッコは村外れの平地へ来ると、自然と其処そこに止まってしまう。と同時に土工たちは、身軽にトロッコを飛び降りるが早いか、その線路の終点へ車の土をぶちまける。それから今度はトロッコを押し押し、もと来た山の方へ登り始める。良平はその時乗れないまでも、押す事さえ出来たらと思うのである。
 或ある夕方、――それは二月の初旬だった。良平は二つ下の弟や、弟と同じ年の隣の子供と、トロッコの置いてある村外れへ行った。トロッコは泥だらけになったまま、薄明るい中に並んでいる。が、その外ほかは何処どこを見ても、土工たちの姿は見えなかった。三人の子供は恐る恐る、一番端はしにあるトロッコを押した。トロッコは三人の力が揃そろうと、突然ごろりと車輪をまわした。良平はこの音にひやりとした。しかし二度目の車輪の音は、もう彼を驚かさなかった。ごろり、ごろり、――トロッコはそう云う音と共に、三人の手に押されながら、そろそろ線路を登って行った。
 その内にかれこれ十間けん程来ると、線路の勾配こうばいが急になり出した。トロッコも三人の力では、いくら押しても動かなくなった。どうかすれば車と一しょに、押し戻されそうにもなる事がある。良平はもう好よいと思ったから、年下の二人に合図をした。
「さあ、乗ろう!」
 彼等は一度に手をはなすと、トロッコの上へ飛び乗った。トロッコは最初徐おもむろに、それから見る見る勢いきおいよく、一息に線路を下くだり出した。その途端につき当りの風景は、忽たちまち両側へ分かれるように、ずんずん目の前へ展開して来る。顔に当る薄暮はくぼの風、足の下に躍おどるトロッコの動揺、――良平は殆ほとんど有頂天うちょうてんになった。
 しかしトロッコは二三分の後のち、もうもとの終点に止まっていた。
「さあ、もう一度押すじゃあ」
 良平は年下の二人と一しょに、又トロッコを押し上げにかかった。が、まだ車輪も動かない内に、突然彼等の後うしろには、誰かの足音が聞え出した。のみならずそれは聞え出したと思うと、急にこう云う怒鳴り声に変った。
「この野郎! 誰に断ことわってトロに触さわった?」
 其処には古い印袢天しるしばんてんに、季節外れの麦藁帽むぎわらぼうをかぶった、背の高い土工が佇んでいる。――そう云う姿が目にはいった時、良平は年下の二人と一しょに、もう五六間逃げ出していた。――それぎり良平は使の帰りに、人気のない工事場のトロッコを見ても、二度と乗って見ようと思った事はない。唯その時の土工の姿は、今でも良平の頭の何処かに、はっきりした記憶を残している。薄明りの中に仄ほのめいた、小さい黄色の麦藁帽、――しかしその記憶さえも、年毎としごとに色彩は薄れるらしい。
 その後のち十日余りたってから、良平は又たった一人、午ひる過ぎの工事場に佇みながら、トロッコの来るのを眺めていた。すると土を積んだトロッコの外ほかに、枕木まくらぎを積んだトロッコが一輛りょう、これは本線になる筈はずの、太い線路を登って来た。このトロッコを押しているのは、二人とも若い男だった。良平は彼等を見た時から、何だか親しみ易やすいような気がした。「この人たちならば叱しかられない」――彼はそう思いながら、トロッコの側そばへ駈かけて行った。
「おじさん。押してやろうか?」
 その中の一人、――縞しまのシャツを着ている男は、俯向うつむきにトロッコを押したまま、思った通り快い返事をした。
「おお、押してくよう」
 良平は二人の間にはいると、力一杯押し始めた。
「われは中中なかなか力があるな」
 他たの一人、――耳に巻煙草まきたばこを挟はさんだ男も、こう良平を褒ほめてくれた。
 その内に線路の勾配は、だんだん楽になり始めた。「もう押さなくとも好よい」――良平は今にも云われるかと内心気がかりでならなかった。が、若い二人の土工は、前よりも腰を起したぎり、黙黙と車を押し続けていた。良平はとうとうこらえ切れずに、怯おず怯おずこんな事を尋ねて見た。
「何時いつまでも押していて好いい?」
「好いとも」
 二人は同時に返事をした。良平は「優しい人たちだ」と思った。
 五六町余り押し続けたら、線路はもう一度急勾配になった。其処には両側の蜜柑畑みかんばたけに、黄色い実がいくつも日を受けている。
「登り路みちの方が好い、何時いつまでも押させてくれるから」――良平はそんな事を考えながら、全身でトロッコを押すようにした。
 蜜柑畑の間を登りつめると、急に線路は下くだりになった。縞のシャツを着ている男は、良平に「やい、乗れ」と云った。良平は直すぐに飛び乗った。トロッコは三人が乗り移ると同時に、蜜柑畑の※(「均のつくり」、第3水準1-14-75)においを煽あおりながら、ひた辷すべりに線路を走り出した。「押すよりも乗る方がずっと好い」――良平は羽織に風を孕はらませながら、当り前の事を考えた。「行きに押す所が多ければ、帰りに又乗る所が多い」――そうもまた考えたりした。
 竹藪たけやぶのある所へ来ると、トロッコは静かに走るのを止やめた。三人は又前のように、重いトロッコを押し始めた。竹藪は何時か雑木林になった。爪先つまさき上りの所所ところどころには、赤錆あかさびの線路も見えない程、落葉のたまっている場所もあった。その路をやっと登り切ったら、今度は高い崖がけの向うに、広広と薄ら寒い海が開けた。と同時に良平の頭には、余り遠く来過ぎた事が、急にはっきりと感じられた。
 三人は又トロッコへ乗った。車は海を右にしながら、雑木の枝の下を走って行った。しかし良平はさっきのように、面白い気もちにはなれなかった。「もう帰ってくれれば好いい」――彼はそうも念じて見た。が、行く所まで行きつかなければ、トロッコも彼等も帰れない事は、勿論もちろん彼にもわかり切っていた。
 その次に車の止まったのは、切崩きりくずした山を背負っている、藁屋根の茶店の前だった。二人の土工はその店へはいると、乳呑児ちのみごをおぶった上かみさんを相手に、悠悠ゆうゆうと茶などを飲み始めた。良平は独ひとりいらいらしながら、トロッコのまわりをまわって見た。トロッコには頑丈がんじょうな車台の板に、跳はねかえった泥が乾かわいていた。
 少時しばらくの後のち茶店を出て来しなに、巻煙草を耳に挟はさんだ男は、(その時はもう挟んでいなかったが)トロッコの側にいる良平に新聞紙に包んだ駄菓子をくれた。良平は冷淡に「難有ありがとう」と云った。が、直すぐに冷淡にしては、相手にすまないと思い直した。彼はその冷淡さを取り繕うように、包み菓子の一つを口へ入れた。菓子には新聞紙にあったらしい、石油の※(「均のつくり」、第3水準1-14-75)がしみついていた。
 三人はトロッコを押しながら緩ゆるい傾斜を登って行った。良平は車に手をかけていても、心は外ほかの事を考えていた。
 その坂を向うへ下おり切ると、又同じような茶店があった。土工たちがその中へはいった後あと、良平はトロッコに腰をかけながら、帰る事ばかり気にしていた。茶店の前には花のさいた梅に、西日の光が消えかかっている。「もう日が暮れる」――彼はそう考えると、ぼんやり腰かけてもいられなかった。トロッコの車輪を蹴けって見たり、一人では動かないのを承知しながらうんうんそれを押して見たり、――そんな事に気もちを紛らせていた。
 ところが土工たちは出て来ると、車の上の枕木まくらぎに手をかけながら、無造作むぞうさに彼にこう云った。
「われはもう帰んな。おれたちは今日は向う泊りだから」
「あんまり帰りが遅くなるとわれの家うちでも心配するずら」
 良平は一瞬間呆気あっけにとられた。もうかれこれ暗くなる事、去年の暮母と岩村まで来たが、今日の途みちはその三四倍ある事、それを今からたった一人、歩いて帰らなければならない事、――そう云う事が一時にわかったのである。良平は殆ほとんど泣きそうになった。が、泣いても仕方がないと思った。泣いている場合ではないとも思った。彼は若い二人の土工に、取って附けたような御時宜おじぎをすると、どんどん線路伝いに走り出した。
 良平は少時しばらく無我夢中に線路の側を走り続けた。その内に懐ふところの菓子包みが、邪魔になる事に気がついたから、それを路側みちばたへ抛ほり出す次手ついでに、板草履いたぞうりも其処へ脱ぎ捨ててしまった。すると薄い足袋たびの裏へじかに小石が食いこんだが、足だけは遙はるかに軽くなった。彼は左に海を感じながら、急な坂路さかみちを駈かけ登った。時時涙がこみ上げて来ると、自然に顔が歪ゆがんで来る。――それは無理に我慢しても、鼻だけは絶えずくうくう鳴った。
 竹藪の側を駈け抜けると、夕焼けのした日金山ひがねやまの空も、もう火照ほてりが消えかかっていた。良平は、愈いよいよ気が気でなかった。往ゆきと返かえりと変るせいか、景色の違うのも不安だった。すると今度は着物までも、汗の濡ぬれ通ったのが気になったから、やはり必死に駈け続けたなり、羽織を路側みちばたへ脱いで捨てた。
 蜜柑畑へ来る頃には、あたりは暗くなる一方だった。「命さえ助かれば――」良平はそう思いながら、辷すべってもつまずいても走って行った。
 やっと遠い夕闇ゆうやみの中に、村外れの工事場が見えた時、良平は一思いに泣きたくなった。しかしその時もべそはかいたが、とうとう泣かずに駈け続けた。
 彼の村へはいって見ると、もう両側の家家には、電燈の光がさし合っていた。良平はその電燈の光に、頭から汗の湯気ゆげの立つのが、彼自身にもはっきりわかった。井戸端に水を汲くんでいる女衆おんなしゅうや、畑から帰って来る男衆おとこしゅうは、良平が喘あえぎ喘ぎ走るのを見ては、「おいどうしたね?」などと声をかけた。が、彼は無言のまま、雑貨屋だの床屋だの、明るい家の前を走り過ぎた。
 彼の家うちの門口かどぐちへ駈けこんだ時、良平はとうとう大声に、わっと泣き出さずにはいられなかった。その泣き声は彼の周囲まわりへ、一時に父や母を集まらせた。殊ことに母は何とか云いながら、良平の体を抱かかえるようにした。が、良平は手足をもがきながら、啜すすり上げ啜り上げ泣き続けた。その声が余り激しかったせいか、近所の女衆も三四人、薄暗い門口へ集って来た。父母は勿論その人たちは、口口に彼の泣く訣わけを尋ねた。しかし彼は何と云われても泣き立てるより外に仕方がなかった。あの遠い路を駈け通して来た、今までの心細さをふり返ると、いくら大声に泣き続けても、足りない気もちに迫られながら、…………
 良平は二十六の年、妻子さいしと一しょに東京へ出て来た。今では或雑誌社の二階に、校正の朱筆しゅふでを握っている。が、彼はどうかすると、全然何の理由もないのに、その時の彼を思い出す事がある。全然何の理由もないのに?――塵労じんろうに疲れた彼の前には今でもやはりその時のように、薄暗い藪や坂のある路が、細細と一すじ断続している。…………




底本:「蜘蛛の糸・杜子春」新潮文庫、新潮社
   1968(昭和43)年11月15日発行
   1984(昭和59)年12月25日38刷改版
   1989(平成元)年5月30日46刷
入力:蒋龍
校正:鈴木厚司
2004年10月31日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp...

^200 教育係 キネレト 2019/03/29 03:24:24
村荒らしはまかせろー(バリバリ)
^201 絶対勝利の騎士 サザナミ 2019/03/29 03:25:00
蜜柑
芥川龍之介



 或曇つた冬の日暮である。私は横須賀発上り二等客車の隅に腰を下して、ぼんやり発車の笛を待つてゐた。とうに電燈のついた客車の中には、珍らしく私の外に一人も乗客はゐなかつた。外を覗のぞくと、うす暗いプラツトフオオムにも、今日は珍しく見送りの人影さへ跡を絶つて、唯、檻をりに入れられた小犬が一匹、時々悲しさうに、吠え立ててゐた。これらはその時の私の心もちと、不思議な位似つかはしい景色だつた。私の頭の中には云ひやうのない疲労と倦怠とが、まるで雪曇りの空のやうなどんよりした影を落してゐた。私は外套のポツケツトへぢつと両手をつつこんだ儘まま、そこにはいつてゐる夕刊を出して見ようと云ふ元気さへ起らなかつた。
 が、やがて発車の笛が鳴つた。私はかすかな心の寛くつろぎを感じながら、後の窓枠へ頭をもたせて、眼の前の停車場がずるずると後ずさりを始めるのを待つともなく待ちかまへてゐた。所がそれよりも先にけたたましい日和ひより下駄の音が、改札口の方から聞え出したと思ふと、間もなく車掌の何か云ひ罵ののしる声と共に、私の乗つてゐる二等室の戸ががらりと開いて、十三四の小娘が一人、慌あわただしく中へはいつて来た、と同時に一つづしりと揺れて、徐おもむろに汽車は動き出した。一本づつ眼をくぎつて行くプラツトフオオムの柱、置き忘れたやうな運水車、それから車内の誰かに祝儀の礼を云つてゐる赤帽――さう云ふすべては、窓へ吹きつける煤煙の中に、未練がましく後へ倒れて行つた。私は漸やうやくほつとした心もちになつて、巻煙草に火をつけながら、始めて懶ものうい睚まぶたをあげて、前の席に腰を下してゐた小娘の顔を一瞥いちべつした。
 それは油気のない髪をひつつめの銀杏返いてふがへしに結つて、横なでの痕のある皸ひびだらけの両頬を気持の悪い程赤く火照ほてらせた、如何にも田舎者ゐなかものらしい娘だつた。しかも垢じみた萌黄色もえぎいろの毛糸の襟巻がだらりと垂れ下つた膝の上には、大きな風呂敷包みがあつた。その又包みを抱いた霜焼けの手の中には、三等の赤切符が大事さうにしつかり握られてゐた。私はこの小娘の下品な顔だちを好まなかつた。それから彼女の服装が不潔なのもやはり不快だつた。最後にその二等と三等との区別さへも弁わきまへない愚鈍な心が腹立たしかつた。だから巻煙草に火をつけた私は、一つにはこの小娘の存在を忘れたいと云ふ心もちもあつて、今度はポツケツトの夕刊を漫然と膝の上へひろげて見た。すると其時夕刊の紙面に落ちてゐた外光が、突然電燈の光に変つて、刷すりの悪い何欄かの活字が意外な位鮮あざやかに私の眼の前へ浮んで来た。云ふまでもなく汽車は今、横須賀線に多い隧道トンネルの最初のそれへはいつたのである。
 しかしその電燈の光に照らされた夕刊の紙面を見渡しても、やはり私の憂欝を慰むべく、世間は余りに平凡な出来事ばかりで持ち切つてゐた。講和問題、新婦新郎、涜職とくしよく事件、死亡広告――私は隧道へはいつた一瞬間、汽車の走つてゐる方向が逆になつたやうな錯覚を感じながら、それらの索漠とした記事から記事へ殆ほとんど機械的に眼を通した。が、その間も勿論あの小娘が、恰あたかも卑俗な現実を人間にしたやうな面持ちで、私の前に坐つてゐる事を絶えず意識せずにはゐられなかつた。この隧道の中の汽車と、この田舎者の小娘と、さうして又この平凡な記事に埋つてゐる夕刊と、――これが象徴でなくて何であらう。不可解な、下等な、退屈な人生の象徴でなくて何であらう。私は一切がくだらなくなつて、読みかけた夕刊を抛はふり出すと、又窓枠に頭を靠もたせながら、死んだやうに眼をつぶつて、うつらうつらし始めた。
 それから幾分か過ぎた後であつた。ふと何かに脅おびやかされたやうな心もちがして、思はずあたりを見まはすと、何時いつの間にか例の小娘が、向う側から席を私の隣へ移して、頻しきりに窓を開けようとしてゐる。が、重い硝子戸ガラスどは中々思ふやうにあがらないらしい。あの皸ひびだらけの頬は愈いよいよ赤くなつて、時々鼻洟はなをすすりこむ音が、小さな息の切れる声と一しよに、せはしなく耳へはいつて来る。これは勿論私にも、幾分ながら同情を惹ひくに足るものには相違なかつた。しかし汽車が今将まさに隧道トンネルの口へさしかからうとしてゐる事は、暮色の中に枯草ばかり明い両側の山腹が、間近く窓側に迫つて来たのでも、すぐに合点がてんの行く事であつた。にも関らずこの小娘は、わざわざしめてある窓の戸を下さうとする、――その理由が私には呑みこめなかつた。いや、それが私には、単にこの小娘の気まぐれだとしか考へられなかつた。だから私は腹の底に依然として険しい感情を蓄へながら、あの霜焼けの手が硝子戸を擡もたげようとして悪戦苦闘する容子ようすを、まるでそれが永久に成功しない事でも祈るやうな冷酷な眼で眺めてゐた。すると間もなく凄じい音をはためかせて、汽車が隧道へなだれこむと同時に、小娘の開けようとした硝子戸は、とうとうばたりと下へ落ちた。さうしてその四角な穴の中から、煤すすを溶したやうなどす黒い空気が、俄にはかに息苦しい煙になつて、濛々もうもうと車内へ漲みなぎり出した。元来咽喉のどを害してゐた私は、手巾ハンケチを顔に当てる暇さへなく、この煙を満面に浴びせられたおかげで、殆ほとんど息もつけない程咳せきこまなければならなかつた。が、小娘は私に頓着する気色けしきも見えず、窓から外へ首をのばして、闇を吹く風に銀杏返いてふがへしの鬢びんの毛を戦そよがせながら、ぢつと汽車の進む方向を見やつてゐる。その姿を煤煙ばいえんと電燈の光との中に眺めた時、もう窓の外が見る見る明くなつて、そこから土の匂や枯草の匂や水の匂が冷ひややかに流れこんで来なかつたなら、漸やうやく咳きやんだ私は、この見知らない小娘を頭ごなしに叱りつけてでも、又元の通り窓の戸をしめさせたのに相違なかつたのである。
 しかし汽車はその時分には、もう安々と隧道トンネルを辷すべりぬけて、枯草の山と山との間に挾まれた、或貧しい町はづれの踏切りに通りかかつてゐた。踏切りの近くには、いづれも見すぼらしい藁屋根や瓦屋根がごみごみと狭苦しく建てこんで、踏切り番が振るのであらう、唯一旒いちりうのうす白い旗が懶ものうげに暮色を揺ゆすつてゐた。やつと隧道を出たと思ふ――その時その蕭索せうさくとした踏切りの柵の向うに、私は頬の赤い三人の男の子が、目白押しに並んで立つてゐるのを見た。彼等は皆、この曇天に押しすくめられたかと思ふ程、揃そろつて背が低かつた。さうして又この町はづれの陰惨たる風物と同じやうな色の着物を着てゐた。それが汽車の通るのを仰ぎ見ながら、一斉に手を挙げるが早いか、いたいけな喉を高く反そらせて、何とも意味の分らない喊声かんせいを一生懸命に迸ほとばしらせた。するとその瞬間である。窓から半身を乗り出してゐた例の娘が、あの霜焼けの手をつとのばして、勢よく左右に振つたと思ふと、忽ち心を躍らすばかり暖な日の色に染まつてゐる蜜柑みかんが凡そ五つ六つ、汽車を見送つた子供たちの上へばらばらと空から降つて来た。私は思はず息を呑んだ。さうして刹那に一切を了解した。小娘は、恐らくはこれから奉公先へ赴おもむかうとしてゐる小娘は、その懐に蔵してゐた幾顆いくくわの蜜柑を窓から投げて、わざわざ踏切りまで見送りに来た弟たちの労に報いたのである。
 暮色を帯びた町はづれの踏切りと、小鳥のやうに声を挙げた三人の子供たちと、さうしてその上に乱落する鮮あざやかな蜜柑の色と――すべては汽車の窓の外に、瞬またたく暇もなく通り過ぎた。が、私の心の上には、切ない程はつきりと、この光景が焼きつけられた。さうしてそこから、或得体えたいの知れない朗ほがらかな心もちが湧き上つて来るのを意識した。私は昂然と頭を挙げて、まるで別人を見るやうにあの小娘を注視した。小娘は何時かもう私の前の席に返つて、不相変あひかはらず皸ひびだらけの頬を萌黄色の毛糸の襟巻に埋めながら、大きな風呂敷包みを抱へた手に、しつかりと三等切符を握つてゐる。…………
 私はこの時始めて、云ひやうのない疲労と倦怠とを、さうして又不可解な、下等な、退屈な人生を僅に忘れる事が出来たのである。
(大正八年四月)




底本:「現代日本文学大系 43 芥川龍之介集」筑摩書房
   1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行
入力:j.utiyama
校正:野口英司
1998年3月16日公開
2005年10月18日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp...
-269 郵便局員 サワラ 2019/03/29 03:31:34
>>584 >>1103 >>1188 >>3392 >>3625
今日のロスさんで気になるのはこの辺

というメモ
^202 絶対勝利の騎士 サザナミ 2019/03/29 03:36:32
蜜柑
芥川龍之介



 或ある曇くもつた冬ふゆの日暮ひぐれである。私わたくしは横須賀發よこすかはつ上のぼり二等とう客車きやくしやの隅すみに腰こしを下おろして、ぼんやり發車はつしやの笛ふえを待まつてゐた。とうに電燈でんとうのついた客車きやくしやの中なかには、珍めづらしく私わたくしの外ほかに一人ひとりも乘客じようきやくはゐなかつた。外そとを覗のぞくと、うす暗ぐらいプラットフォオムにも、今日けふは珍めづらしく見送みおくりの人影ひとかげさへ跡あとを絶たつて、唯ただ、檻をりに入いれられた小犬こいぬが一匹ぴき、時時ときどき悲かなしさうに、吠ほえ立たててゐた。これらはその時ときの私わたくしの心こころもちと、不思議ふしぎな位くらゐ似につかはしい景色けしきだつた。私わたくしの頭あたまの中うちには云いひやうのない疲勞ひらうと倦怠けんたいとが、まるで雪曇ゆきぐもりの空そらのやうなどんよりした影かげを落おとしてゐた。私わたくしは外套ぐわいたうのポケットへぢつと兩手りやうてをつつこんだ儘まま、そこにはひつてゐる夕刊ゆふかんを出だして見みようと云いふ元氣げんきさへ起おこらなかつた。
 が、やがて發車はつしやの笛ふえが鳴なつた。私わたくしはかすかな心こころの寛くつろぎを感かんじながら、後うしろの窓枠まどわくへ頭あたまをもたせて、眼めの前まへの停車場ていしやぢやうがずるずると後あとずさりを始はじめるのを待まつともなく待まちかまへてゐた。所ところがそれよりも先さきにけたたましい日和下駄ひよりげたの音おとが、改札口かいさつぐちの方はうから聞きこえ出だしたと思おもふと、間まもなく車掌しやしやうの何なにか云いひ罵ののしる聲こゑと共ともに、私わたくしの乘のつてゐる二等とう室しつの戸とががらりと開あいて十三四の小娘こむすめが一人ひとり、慌あわただしく中なかへはひつて來きた。と同時どうじに一ひとつづしりと搖ゆれて、徐おもむろに汽車きしやは動うごき出だした。一本ぽんづつ眼めをくぎつて行ゆくプラットフォオムの柱はしら、置おき忘わすれたやうな運水車うんすゐしや、それから車内しやないの誰たれかに祝儀しうぎの禮れいを云いつてゐる赤帽あかばう――さう云いふすべては、窓まどへ吹ふきつける煤煙ばいえんの中なかに、未練みれんがましく後うしろへ倒たふれて行いつた。私わたくしは漸やうやくほつとした心こころもちになつて、卷煙草まきたばこに火ひをつけながら、始はじめて懶ものうい睚まぶたをあげて、前まへの席せきに腰こしを下おろしてゐた小娘こむすめの顏かほを一瞥べつした。
 それは油氣あぶらけのない髮かみをひつつめの銀杏返いてふがへしに結ゆつて、横よこなでの痕あとのある皸ひびだらけの兩頬りやうほほを氣持きもちの惡わるい程ほど赤あかく火照ほてらせた、如何いかにも田舍者ゐなかものらしい娘むすめだつた。しかも垢あかじみた萌黄色もえぎいろの毛絲けいとの襟卷えりまきがだらりと垂たれ下さがつた膝ひざの上うへには、大おほきな風呂敷包ふろしきづつみがあつた。その又また包つつみを抱だいた霜燒しもやけの手ての中なかには、三等とうの赤切符あかぎつぷが大事だいじさうにしつかり握にぎられてゐた。私わたくしはこの小娘こむすめの下品げひんな顏かほだちを好このまなかつた。それから彼女かのぢよの服裝ふくさうが不潔ふけつなのもやはり不快ふくわいだつた。最後さいごにその二等とうと三等とうとの區別くべつさへも辨わきまへない愚鈍ぐどんな心こころが腹立はらだたしかつた。だから卷煙草まきたばこに火ひをつけた私わたくしは、一ひとつにはこの小娘こむすめの存在そんざいを忘わすれたいと云いふ心こころもちもあつて、今度こんどはポケットの夕刊ゆふかんを漫然まんぜんと膝ひざの上うへへひろげて見みた。すると其時そのとき夕刊ゆふかんの紙面しめんに落おちてゐた外光ぐわいくわうが、突然とつぜん電燈でんとうの光ひかりに變かはつて、刷すりの惡わるい何欄なにらんかの活字くわつじが意外いぐわいな位くらゐ鮮あざやかに私わたくしの眼めの前まへへ浮うかんで來きた。云いふ迄までもなく汽車きしやは今いま、横須賀線よこすかせんに多おほい隧道トンネルの最初さいしよのそれへはひつたのである。
 しかしその電燈でんとうの光ひかりに照てらされた夕刊ゆふかんの紙面しめんを見渡みわたしても、やはり私わたくしの憂鬱いううつを慰なぐさむべく世間せけんは餘あまりに平凡へいぼんな出來事できごとばかりで持もち切きつてゐた。講和問題かうわもんだい、新婦しんぷ、新郎しんらう、涜職事件とくしよくじけん、死亡廣告しばうくわうこく――私わたくしは隧道トンネルへはひつた一瞬間しゆんかん、汽車きしやの走はしつてゐる方向はうかうが逆ぎやくになつたやうな錯覺さくかくを感かんじながら、それらの索漠さくばくとした記事きじから記事きじへ殆ほとんど、機械的きかいてきに眼めを通とほした。が、その間あひだも勿論もちろんあの小娘こむすめが、恰あたかも卑俗ひぞくな現實げんじつを人間にんげんにしたやうな面おももちで、私わたくしの前まへに坐すわつてゐる事ことを絶たえず意識いしきせずにはゐられなかつた。この隧道トンネルの中なかの汽車きしやと、この田舍者ゐなかものの小娘こむすめと、さうして又またこの平凡へいぼんな記事きじに埋うづまつてゐる夕刊ゆふかんと、――これが象徴しやうちようでなくて何なんであらう。不可解ふかかいな、下等かとうな、退屈たいくつな人生じんせいの象徴しやうちようでなくて何なんであらう。私わたくしは一切さいがくだらなくなつて、讀よみかけた夕刊ゆふかんを抛はふり出だすと、又また窓枠まどわくに頭あたまを靠もたせながら、死しんだやうに眼めをつぶつて、うつらうつらし始はじめた。
 それから幾分いくふんか過すぎた後のちであつた。ふと何なにかに脅おびやかされたやうな心こころもちがして、思おもはずあたりを見みまはすと、何時いつの間まにか例れいの小娘こむすめが、向むかう側がはから席せきを私わたくしの隣となりへ移うつして、頻しきりに窓まどを開あけようとしてゐる。が、重おもい硝子戸ガラスどは中中なかなか思おもふやうにあがらないらしい。あの皸ひびだらけの頬ほほは愈いよいよ、赤あかくなつて、時時ときどき鼻洟はなをすすりこむ音おとが、小ちひさな息いきの切きれる聲こゑと一しよに、せはしなく耳みみへはひつて來くる。これは勿論もちろん私わたくしにも、幾分いくぶんながら同情どうじやうを惹ひくに足たるものには相違さうゐなかつた。しかし汽車きしやが今いま將まさに隧道トンネルの口くちへさしかからうとしてゐる事ことは、暮色ぼしよくの中なかに枯草かれくさばかり明あかるい兩側りやうがはの山腹さんぷくが、間近まぢかく窓側まどがはに迫せまつて來きたのでも、すぐに合點がてんの行ゆく事ことであつた。にも關かかはらずこの小娘こむすめは、わざわざしめてある窓まどの戸とを下おろさうとする、――その理由りいうが私わたくしには呑のみこめなかつた。いや、それが私わたくしには、單たんにこの小娘こむすめの氣きまぐれだとしか考かんがへられなかつた。だから私わたくしは腹はらの底そこに依然いぜんとして險けはしい感情かんじやうを蓄たくはへながら、あの霜燒しもやけの手てが硝子戸ガラスどを擡もたげようとして惡戰苦鬪あくせんくとうする容子ようすを、まるでそれが永久えいきうに成功せいこうしない事ことでも祈いのるやうな冷酷れいこくな眼めで眺ながめてゐた。すると間まもなく凄すさまじい音おとをはためかせて、汽車きしやが隧道トンネルへなだれこむと同時どうじに、小娘こむすめの開あけようとした硝子戸ガラスどは、とうとうばたりと下したへ落おちた。さうしてその四角かくな穴あなの中なかから、煤すすを溶とかしたやうなどす黒ぐろい空氣くうきが、俄にはかに息苦いきぐるしい煙けむりになつて濛濛もうもうと車内しやないへ漲みなぎり出だした。元來ぐわんらい咽喉いんこうを害がいしてゐた私わたくしは、手巾ハンケチを顏かほに當あてる暇ひまさへなく、この煙けむりを滿面まんめんに浴あびせられたおかげで、殆ほとんど、息いきもつけない程ほど咳せきこまなければならなかつた。が、小娘こむすめは私わたくしに頓著とんぢやくする氣色けしきも見みえず、窓まどから外そとへ首くびをのばして、闇やみを吹ふく風かぜに銀杏返いてふがへしの鬢びんの毛けを戰そよがせながら、ぢつと汽車きしやの進すすむ方向はうかうを見みやつてゐる。その姿すがたを煤煙ばいえんと電燈でんとうの光ひかりとの中なかに眺ながめた時とき、もう窓まどの外そとが見みる見みる明あかるくなつて、そこから土つちの※(「鈞のつくり」、第3水準1-14-75)にほひや枯草かれくさの※(「鈞のつくり」、第3水準1-14-75)にほひや水みづの※(「鈞のつくり」、第3水準1-14-75)にほひが冷ひややかに流ながれこんで來こなかつたなら、漸やうやく咳せきやんだ私わたくしは、この見知みしらない小娘こむすめを頭あたまごなしに叱しかりつけてでも、又また元もとの通とほり窓まどの戸とをしめさせたのに相違さうゐなかつたのである。
 しかし汽車きしやはその時分じぶんには、もう安安やすやすと隧道トンネルを辷すべりぬけて、枯草かれくさの山やまと山やまとの間あひだに挾はさまれた、或ある貧まづしい町まちはづれの踏切ふみきりに通とほりかかつてゐた。踏切ふみきりの近ちかくには、いづれも見みすぼらしい藁屋根わらやねや瓦屋根かはらやねがごみごみと狹苦せまくるしく建たてこんで、踏切ふみきり番ばんが振ふるのであらう、唯ただ一旒りうのうす白しろい旗はたが懶ものうげに暮色ぼしよくを搖ゆすつてゐた。やつと隧道トンネルを出でたと思おもふ――その時ときその蕭索せうさくとした踏切ふみきりの柵さくの向むかうに、私わたくしは頬ほほの赤あかい三人にんの男をとこの子こが、目白押めじろおしに竝ならんで立たつてゐるのを見みた。彼等かれらは皆みな、この曇天どんてんに押おしすくめられたかと思おもふ程ほど、揃そろつて脊せいが低ひくかつた。さうして又またこの町まちはづれの陰慘いんさんたる風物ふうぶつと同おなじやうな色いろの著物きものを著きてゐた。それが汽車きしやの通とほるのを仰あふぎ見みながら、一齊せいに手てを擧あげるが早はやいか、いたいけな喉のどを高たかく反そらせて、何なんとも意味いみの分わからない喊聲かんせいを一生しやう懸命けんめいに迸ほとばしらせた。するとその瞬間しゆんかんである。窓まどから半身はんしんを乘のり出だしてゐた例れいの娘むすめが、あの霜燒しもやけの手てをつとのばして、勢いきほひよく左右さいうに振ふつたと思おもふと、忽たちまち心こころを躍をどらすばかり暖あたたかな日ひの色いろに染そまつてゐる蜜柑みかんが凡およそ五いつつ六むつつ、汽車きしやを見送みおくつた子供こどもたちの上うへへばらばらと空そらから降ふつて來きた。私わたくしは思おもはず息いきを呑のんだ。さうして刹那せつなに一切さいを了解れうかいした。小娘こむすめは、恐おそらくはこれから奉公先ほうこうさきへ赴おもむかうとしてゐる小娘こむすめは、その懷ふところに藏ざうしてゐた幾顆いくくわの蜜柑みかんを窓まどから投なげて、わざわざ踏切ふみきりまで見送みおくりに來きた弟をとうとたちの勞らうに報むくいたのである。
 暮色ぼしよくを帶おびた町まちはづれの踏切ふみきりと、小鳥ことりのやうに聲こえを擧あげた三人にんの子供こどもたちと、さうしてその上うへに亂落らんらくする鮮あざやかな蜜柑みかんの色いろと――すべては汽車きしやの窓まどの外に、瞬またたくく暇ひまもなく通とほり過すぎた。が、私わたくしの心こころの上うへには、切せつない程ほどはつきりと、この光景くわうけいが燒やきつけられた。さうしてそこから、或ある得體えたいの知しれない朗ほがらかな心こころもちが湧わき上あがつて來くるのを意識いしきした。私わたくしは昂然かうぜんと頭あたまを擧あげて、まるで別人べつじんを見みるやうにあの小娘こむすめを注視ちゆうしした。小娘こむすめは何時いつかもう私わたくしの前まへの席せきに返かへつて、不相變あひかはらず皸ひびだらけの頬ほほを萌黄色もえぎいろの毛絲けいとの襟卷えりまきに埋うづめながら、大おおきな風呂敷包ふろしきづつみを抱かかへた手てに、しつかりと三等とう切符ぎつぷを握にぎつてゐる。……
 私わたくしはこの時とき始はじめて、云いひやうのない疲勞ひらうと倦怠けんたいとを、さうして又また不可解ふかかいな、下等かとうな、退屈たいくつな人生じんせいを僅わづかに忘わすれる事ことが出來できたのである。
(大正八年四月作)




底本:「現代日本文學全集 第三〇篇 芥川龍之介集」改造社
   1928(昭和3)年1月9日発行
初出:「新潮」
   1919(大正8)年5月1日
※表題は底本では、「蜜柑みかん」となっています。
入力:高柳典子
校正:岡山勝美
2012年2月8日作成
2012年3月21日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp...

^203 絶対勝利の騎士 サザナミ 2019/03/29 03:37:46
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-270 郵便局員 サワラ 2019/03/29 03:39:26
王様の陣容変化してる危惧があるなら>>584はポイント?
>>3625

>>1103
仁さんとムジナさんは吊って良い=蝙蝠ではない

>>3392
蝙蝠が潰すべきって狼以外だと村しかないのでは???
協議するってなんだろう

>>1188 ???
-271 郵便局員 サワラ 2019/03/29 03:40:35
ロスさんもそうだけど、オルネアさんも
あまり村陣営に見えてないんですよねー…どうなんでしょ
^204 絶対勝利の騎士 サザナミ 2019/03/29 03:43:25
羅生門
芥川龍之介



 或日あるひの暮方の事である。一人の下人が、羅生門らしやうもんの下で雨やみを待つてゐた。
 廣い門の下には、この男の外ほかに誰もゐない。唯、所々丹塗にぬりの剥げた、大きな圓柱まるばしらに、蟋蟀きり/″\すが一匹とまつてゐる。羅生門らしやうもんが、朱雀大路すじやくおおぢにある以上いじやうは、この男の外にも、雨あめやみをする市女笠いちめがさや揉烏帽子が、もう二三人にんはありさうなものである。それが、この男をとこの外ほかには誰たれもゐない。
 何故なぜかと云ふと、この二三年、京都には、地震ぢしんとか辻風とか火事とか饑饉とか云ふ災わざはひがつゞいて起つた。そこで洛中らくちうのさびれ方かたは一通りでない。舊記によると、佛像や佛具を打砕うちくだいて、その丹にがついたり、金銀の箔はくがついたりした木を、路ばたにつみ重ねて、薪たきぎの料しろに賣つてゐたと云ふ事である。洛中らくちうがその始末であるから、羅生門の修理しゆりなどは、元より誰も捨てゝ顧かへりみる者がなかつた。するとその荒あれ果はてたのをよい事にして、狐狸こりが棲む。盗人ぬすびとが棲む。とうとうしまひには、引取ひきとり手のない死人を、この門へ持つて來て、棄てゝ行くと云ふ習慣しふくわんさへ出來た。そこで、日の目が見えなくなると、誰でも氣味きみを惡るがつて、この門の近所きんじよへは足あしぶみをしない事になつてしまつたのである。
 その代り又鴉からすが何處どこからか、たくさん集つて來た。晝間ひるま見みると、その鴉が何羽なんばとなく輪を描いて高い鴟尾しびのまはりを啼なきながら、飛びまはつてゐる。殊に門の上の空が、夕燒ゆふやけであかくなる時ときには、それが胡麻ごまをまいたやうにはつきり見えた。鴉からすは、勿論、門の上にある死人しにんの肉を、啄みに來るのである。――尤も今日は、刻限こくげんが遲おそいせいか、一羽も見えない。唯、所々ところどころ、崩れかゝつた、さうしてその崩くづれ目に長い草のはへた石段いしだんの上に、鴉からすの糞くそが、點々と白くこびりついてゐるのが見える。下人げにんは七段ある石段の一番上の段だんに洗あらひざらした紺こんの襖あをの尻を据ゑて、右の頬に出來た、大きな面皰にきびを氣にしながら、ぼんやり、雨あめのふるのを眺ながめてゐるのである。
 作者さくしやはさつき、「下人が雨やみを待つてゐた」と書いた。しかし、下人げにんは、雨がやんでも格別かくべつどうしようと云ふ當てはない。ふだんなら、勿論もちろん、主人の家へ歸る可き筈である。所ところがその主人からは、四五日前に暇ひまを出だされた。前にも書いたやうに、當時たうじ京都きやうとの町は一通りならず衰微すゐびしてゐた。今この下人が、永年ながねん、使はれてゐた主人から、暇ひまを出されたのも、この衰微の小さな餘波に外ならない。だから「下人が雨あめやみを待つてゐた」と云いふよりも、「雨にふりこめられた下人が、行ゆき所どころがなくて、途方にくれてゐた」と云ふ方が、適當てきたうである。その上、今日の空模樣そらもやうも少からずこの平安朝へいあんてうの下人の Sentimentalisme に影響えいきやうした。申さるの刻下りからふり出した雨は、未に上あがるけしきがない。そこで、下人は、何を措いても差當さしあたり明日の暮くらしをどうにかしようとして――云はゞどうにもならない事ことを、どうにかしようとして、とりとめもない考かんがへをたどりながら、さつきから朱雀大路すじやくおはぢにふる雨の音を、聞くともなく聞いてゐた。
 雨は、羅生門らしやうもんをつゝんで、遠とほくから、ざあつと云ふ音をあつめて來る。夕闇は次第に空を低くして、見上みあげると、門の屋根が、斜につき出した甍いらか[#「甍の」は底本では「薨の」]先さきに、重たくうす暗くらい雲くもを支へてゐる。
 どうにもならない事を、どうにかする爲には、手段しゆだんを選んでゐる遑いとまはない。選んでゐれば、築土ついぢの下か、道ばたの土の上で、饑死うゑじにをするばかりである。さうして、この門の上へ持つて來て、犬いぬのやうに棄すてられてしまふばかりである。選えらばないとすれば――下人の考へは、何度なんども同じ道を低徊した揚句あげくに、やつとこの局所へ逢着はうちやくした。しかしこの「すれば」は、何時いつまでたつても、結局「すれば」であつた。下人は、手段しゆだんを選ばないといふ事を肯定こうていしながらも、この「すれば」のかたをつける爲に、當然たうぜん、その後に來る可き「盗人ぬすびとになるより外に仕方しかたがない」と云ふ事を、積極的せきゝよくてきに肯定する丈の、勇氣が出ずにゐたのである。
 下人は、大きな嚏くさめをして、それから、大儀さうに立上つた。夕冷ゆふひえのする京都は、もう火桶ひをけが欲しい程の寒さである。風は門の柱はしらと柱との間を、夕闇と共に遠慮なく、吹きぬける。丹塗にぬりの柱にとまつてゐた蟋蟀きり/″\すも、もうどこかへ行つてしまつた。
 下人は、頸をちゞめながら、山吹の汗衫かざみに重ねた、紺の襖の肩を高たかくして門のまはりを見まはした。雨風あめかぜの患のない、人目にかゝる惧のない、一晩ばん樂らくにねられさうな所があれば、そこでともかくも、夜よを明あ[#ルビの「あ」は底本では「あか」]かさうと思つたからである。すると、幸門の上の樓ろうへ上る、幅の廣い、之も丹を塗つた梯子はしごが眼についた。上うへなら、人がゐたにしても、どうせ死人しにんばかりである。下人は、そこで腰にさげた聖柄ひぢりづかの太刀が鞘走らないやうに氣をつけながら、藁草履わらざうりをはいた足を、その梯子の一番下ばんしたの段へふみかけた。
 それから、何分なんぷんかの後である。羅生門の樓の上へ出る、幅はゞの廣い梯子の中段に、一人の男が、猫ねこのやうに身をちゞめて、息いきを殺しながら、上の容子ようすを窺つてゐた。樓の上からさす火ひの光ひかりが、かすかに、その男の右の頬ほゝをぬらしてゐる。短い鬚ひげの中に、赤く膿を持つた面皰にきびのある頬である。下人は、始めから、この上にゐる者は、死人しにんばかりだと高を括つてゐた。それが、梯子はしごを二三段上つて見ると、上では誰か火ひをとぼして、しかもその火を其處此處そこゝこと動うごかしてゐるらしい。これは、その濁つた、黄いろい光が、隅々すみ/″\に蜘蛛の巣をかけた天井裏に、ゆれながら映うつつたので、すぐにそれと知れたのである。この雨の夜に、この羅生門の上で、火をともしてゐるからは、どうせ唯の者ではない。
 下人は、守宮やもりのやうに足音をぬすんで、やつと急きふな梯子を、一番上の段まで這ふやうにして上りつめた。さうして體からだを出來る丈、平にしながら、頸くびを出來る丈、前へ出して、恐おそる恐る、樓の内を覗のぞいて見た。
 見ると、樓の内には、噂うはさに聞いた通り、幾つかの屍骸しがいが、無造作むざうさに棄てゝあるが、火の光の及ぶ範圍はんゐが、思つたより狹いので、數かずは幾つともわからない。唯、おぼろげながら、知れるのは、その中に裸はだかの屍骸と、着物きものを着た屍骸とがあると云ふ事である。勿論もちろん、中には女も男もまじつてゐるらしい。さうして、その屍骸は皆、それが、甞、生きてゐた人間だと云ふ事實じゞつさへ疑はれる程、土を捏ねて造つた人形にんぎやうのやうに、口を開あいたり手を延ばしたりしてごろごろ床ゆかの上にころがつてゐた。しかも、肩とか胸むねとかの高くなつてゐる部分ぶゞんに、ぼんやりした火の光をうけて、低くなつてゐる部分の影を一層そう暗くらくしながら、永久に唖おしの如く默だまつていた。
 下人は、それらの屍骸の腐爛ふらんした臭氣に思はず、鼻はなを掩つた。しかし、その手は、次の瞬間しゆんかんには、もう鼻を掩ふ事を忘れてゐた。或る強い感情かんじやうが、殆悉この男の嗅覺を奪つてしまつたからである。
 下人の眼は、その時、はじめて、其その屍骸しがいの中に蹲つている人間を見た。檜肌色ひはだいろの着物を著た、背の低い、痩せた、白髮頭しらがあたまの、猿のやうな老婆である。その老婆は、右の手に火をともした松まつの木片を持つて、その屍骸しがいの一つの顏を覗きこむやうに眺ながめてゐた。髮の毛の長い所を見ると、多分たぶん女をんなの屍骸であらう。
 下人は、六分の恐怖きやうふと四分の好奇心とに動かされて、暫時は呼吸いきをするのさへ忘れてゐた。舊記の記者きしやの語を借りれば、「頭身とうしんの毛も太る」やうに感じたのである。すると、老婆らうばは、松の木片を、床板の間に挿さして、それから、今まで眺めてゐた屍骸の首に兩手りやうてをかけると、丁度、猿の親が猿の子の虱しらみをとるやうに、その長い髮かみの毛けを一本づゝ拔きはじめた。髮は手に從したがつて拔けるらしい。
 その髮の毛が、一本ずゝ拔ぬけるのに從つて下人の心こゝろからは、恐怖が少しづつ消えて行つた。さうして、それと同時どうじに、この老婆に對するはげしい憎惡ぞうをが、少しづゝ動いて來た。――いや、この老婆らうばに對すると云つては、語弊ごへいがあるかも知れない。寧、あらゆる惡に對する反感はんかんが、一分毎に強さを増して來たのである。この時、誰たれかがこの下人に、さつき門もんの下でこの男が考へてゐた、饑死うゑじにをするか盗人になるかと云ふ問題を、改めて持出もちだしたら、恐らく下人は、何の未練みれんもなく、饑死を選んだ事であらう。それほど、この男をとこの惡を憎む心は、老婆の床ゆかに挿した松の木片のやうに、勢よく燃もえ上あがり出してゐたのである。
 下人には、勿論、何故老婆が死人しにんの髮の毛を拔ぬくかわからなかつた。從つて、合理的がふりてきには、それを善惡の何れに片かたづけてよいか知らなかつた。しかし下人にとつては、この雨あめの夜よに、この羅生門の上で、死人の髮の毛けを拔くと云ふ事が、それ丈で既に許ゆるす可らざる惡であつた。勿論、下人げにんは、さつき迄自分が、盗人になる氣でゐた事なぞは、とうに忘れてゐるのである。
 そこで、下人は、兩足りやうあしに力を入れて、いきなり、梯子はしごから上へ飛び上つた。さうして聖柄ひぢりづかの太刀に手をかけながら、大股おおまたに老婆の前へ歩みよつた。老婆が驚いたのは、云ふ迄もない。
 老婆は、一目下人を見ると、まるで弩いしゆみにでも弾かれたやうに、飛び上つた。
「おのれ、どこへ行く。」
 下人は、老婆が屍骸しがいにつまづきながら、慌あはてふためいて逃げようとする行手を塞いで、こう罵のゝしつた。老婆は、それでも下人をつきのけて行ゆかうとする。下人は又、それを行かすまいとして、押おしもどす。二人は屍骸しがいの中で、暫、無言むごんのまゝ、つかみ合つた。しかし勝敗しようはいは、はじめから、わかつている。下人はとうとう、老婆の腕うでをつかんで、無理にそこへ※(「てへん+丑」、第4水準2-12-93)ねぢ倒たほした。丁度、鷄とりの脚のやうな、骨と皮ばかりの腕である。
「何をしてゐた。さあ何をしてゐた。云へ。云はぬと、これだぞよ。」
 下人は、老婆らうばをつき放すと、いきなり、太刀たちの鞘さやを拂つて、白い鋼はがねの色をその眼の前へつきつけた。けれども、老婆は默つてゐる。兩手りやうてをわなわなふるはせて、肩で息いきを切りながら、眼を、眼球がんきうが※(「目+匡」、第3水準1-88-81)まぶたの外へ出さうになる程、見開いて、唖のやうに執拗しうねく默つてゐる。これを見ると、下人は始はじめて明白にこの老婆の生死が、全然、自分の意志いしに支配されてゐると云ふ事を意識いしきした。さうして、この意識は、今いままではげしく燃えてゐた憎惡の心を何時いつの間にか冷さましてしまつた。後あとに殘つたのは、唯、或ある仕事しごとをして、それが圓滿ゑんまんに成就した時の、安らかな得意とくいと滿足とがあるばかりである。そこで、下人は、老婆らうばを見下しながら、少し聲を柔やはらげてかう云つた。
「己は檢非違使けびゐしの廳の役人などではない。今し方この門もんの下を通とほりかゝつた旅の者だ。だからお前に繩なわをかけて、どうしようと云ふやうな事はない。唯たゞ、今時分、この門の上で、何なにをして居たのだか、それを己に話はなししさへすればいいのだ。」
 すると、老婆は、見開みひらいてゐた眼を、一層大そうおほきくして、ぢつとその下人の顏かほを見守つた。※(「目+匡」、第3水準1-88-81)の赤くなつた、肉食鳥のやうな、鋭するどい眼で見たのである。それから、皺しはで、殆、鼻と一つになつた唇を、何か物でも噛かんでゐるやうに動かした。細い喉で、尖つた喉佛のどぼとけの動いてゐるのが見える。その時、その喉のどから、鴉からすの啼くやうな聲が、喘ぎ喘ぎ、下人の耳みゝへ傳はつて來た。
「この髮を拔いてな、この女の髮を拔いてな、鬘かつらにせうと思うたのぢや。」
 下人は、老婆の答が存外、平凡へいぼんなのに失望した。さうして失望しつばうすると同時に、又前の憎惡が、冷な侮蔑ぶべつと一しよに、心の中へはいつて來た。すると、その氣色けしきが、先方へも通じたのであらう。老婆は、片手かたてに、まだ屍骸の頭から奪とつた長い拔け毛を持もつたなり、蟇ひきのつぶやくやうな聲で、口ごもりながら、こんな事を云つた。
 成程、死人の髮かみの毛けを拔くと云ふ事は、惡い事かも知しれぬ。しかし、かう云ふ死人の多くは、皆、その位な事ことを、されてもいゝ人間にんげんばかりである。現に、自分が今、髮かみを拔いた女などは、蛇へびを四寸ばかりづゝに切きつて干したのを、干魚ほしうをだと云つて、太刀帶たてはきの陣へ賣りに行つた。疫病にかゝつて死ななかつたなら、今でも賣りに行つてゐたかもしれない。しかも、この女をんなの賣る干魚は、味あぢがよいと云ふので、太刀帶たちが、缺かさず菜料さいれうに買つてゐたのである。自分は、この女のした事が惡わるいとは思はない。しなければ、饑死うゑじにをするので、仕方しかたがなくした事だからである。だから、又今、自分じぶんのしてゐた事も惡い事とは思おもはない。これもやはりしなければ、饑死うゑじにをするので、仕方がなくする事だからである。さうして、その仕方がない事を、よく知つてゐたこの女は、自分のする事を許ゆるしてくれるのにちがひないと思おもふからである。――老婆は、大體こんな意味の事を云つた。
 下人は、太刀を鞘さやにおさめて、その太刀の柄を左ひだりの手てでおさへながら、冷然として、この話を聞いてゐた。勿論、右みぎの手てでは、赤く頬ほゝに膿うみを持つた大きな面皰を氣きにしながら、聞いてゐるのである。しかし、之を聞きいてゐる中に、下人の心には、或ある勇氣ゆうきが生まれて來た。それは、さつき、門もんの下したでこの男に缺けてゐた勇氣である。さうして、又またさつき、この門の上うへへ上あがつて、この老婆を捕へた時の勇氣とは、全然ぜん/″\、反對な方向に動うごかうとする勇氣である。下人は、饑死をするか盗人ぬすびとになるかに迷はなかつたばかりではない。その時ときのこの男の心もちから云へば、饑死うゑじになどと云ふ事は、殆、考かんがへる事さへ出來ない程、意識の外に追ひ出されてゐた。
「きつと、そうか。」
 老婆の話が完ると、下人は嘲あざけるやうな聲で念ねんを押した。さうして、一足あし前まへへ出ると、不意ふいに、右の手を面皰から離して、老婆の襟上えりがみをつかみながら、かう云つた。
「では、己が引剥ひはぎをしようと恨むまいな。己もさうしなければ、饑死をする體なのだ。」
 下人は、すばやく、老婆の着物きものを剥ぎとつた。それから、足あしにしがみつかうとする老婆を、手荒てあらく屍骸の上へ蹴倒けたほした。梯子の口までは、僅わづかに五歩を數へるばかりである。下人は、剥はぎとつた檜肌色の着物きものをわきにかゝへて、またゝく間に急な梯子を夜の底へかけ下りた。
 暫しばらく、死んだやうに倒れてゐた老婆が、屍骸の中なかから、その裸はだかの體を起したのは、それから間まもなくの事である。老婆は、つぶやくやうな、うめくやうな聲を立てながら、まだ燃もえてゐる火の光をたよりに、梯子はしごの口まで、這つて行つた。さうして、そこから、短い白髮しらがを倒にして、門の下を覗のぞきこんだ。外には、唯、黒洞々たる夜があるばかりである。
 下人は、既に、雨あめを冐をかして、京都の町へ強盗を働きに急いでゐた。
――四年九月――




底本:「新選 名著復刻全集 近代文学館 芥川龍之介著 羅生門 阿蘭陀書房版」ほるぷ出版
   1976(昭和51)年4月1日発行
※疑問点の確認にあたっては、「日本の文学33 羅生門」ほるぷ出版、1984(昭和59)年8月1日初版第1刷発行を参照しました。
入力:j.utiyama
校正:もりみつじゅんじ、野口英司
1999年6月9日公開
2010年11月4日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp...
-272 郵便局員 サワラ 2019/03/29 03:47:49
仁さんは中身占い師でしたね
ムジナさんはイーグル団の会報を失いたくない。
うん、どっちの吊りも無しかな。
-273 郵便局員 サワラ 2019/03/29 03:48:41
よーくーわからんなー

表で発言するの諦めて寝ていいかな?
-274 魔物憑き アナベル 2019/03/29 03:57:19
紅の遊撃隊 シャルロッテ は QB を警戒します。
-275 士官 ルスラン 2019/03/29 04:09:02
早く殺って仕舞えば良かったな。このさざなみさんは人外じゃないのか?
-276 似非ありぴゅ 2019/03/29 04:15:39
ほんまねむい、ログ読んでも読んでも終わらん……
紅の遊撃隊 シャルロッテ は 羊飼い アマレット を警戒します。
^205 絶対勝利の騎士 サザナミ 2019/03/29 04:24:39
百面相 ムジナ は 猫娘 エルミィ を狩ります。
^206 絶対勝利の騎士 サザナミ 2019/03/29 04:25:59
羅生門
芥川龍之介



 或日あるひの暮方の事である。一人の下人が、羅生門らしやうもんの下で雨やみを待つてゐた。
 廣い門の下には、この男の外ほかに誰もゐない。唯、所々丹塗にぬりの剥げた、大きな圓柱まるばしらに、蟋蟀きり/″\すが一匹とまつてゐる。羅生門らしやうもんが、朱雀大路すじやくおおぢにある以上いじやうは、この男の外にも、雨あめやみをする市女笠いちめがさや揉烏帽子が、もう二三人にんはありさうなものである。それが、この男をとこの外ほかには誰たれもゐない。
 何故なぜかと云ふと、この二三年、京都には、地震ぢしんとか辻風とか火事とか饑饉とか云ふ災わざはひがつゞいて起つた。そこで洛中らくちうのさびれ方かたは一通りでない。舊記によると、佛像や佛具を打砕うちくだいて、その丹にがついたり、金銀の箔はくがついたりした木を、路ばたにつみ重ねて、薪たきぎの料しろに賣つてゐたと云ふ事である。洛中らくちうがその始末であるから、羅生門の修理しゆりなどは、元より誰も捨てゝ顧かへりみる者がなかつた。するとその荒あれ果はてたのをよい事にして、狐狸こりが棲む。盗人ぬすびとが棲む。とうとうしまひには、引取ひきとり手のない死人を、この門へ持つて來て、棄てゝ行くと云ふ習慣しふくわんさへ出來た。そこで、日の目が見えなくなると、誰でも氣味きみを惡るがつて、この門の近所きんじよへは足あしぶみをしない事になつてしまつたのである。
 その代り又鴉からすが何處どこからか、たくさん集つて來た。晝間ひるま見みると、その鴉が何羽なんばとなく輪を描いて高い鴟尾しびのまはりを啼なきながら、飛びまはつてゐる。殊に門の上の空が、夕燒ゆふやけであかくなる時ときには、それが胡麻ごまをまいたやうにはつきり見えた。鴉からすは、勿論、門の上にある死人しにんの肉を、啄みに來るのである。――尤も今日は、刻限こくげんが遲おそいせいか、一羽も見えない。唯、所々ところどころ、崩れかゝつた、さうしてその崩くづれ目に長い草のはへた石段いしだんの上に、鴉からすの糞くそが、點々と白くこびりついてゐるのが見える。下人げにんは七段ある石段の一番上の段だんに洗あらひざらした紺こんの襖あをの尻を据ゑて、右の頬に出來た、大きな面皰にきびを氣にしながら、ぼんやり、雨あめのふるのを眺ながめてゐるのである。
 作者さくしやはさつき、「下人が雨やみを待つてゐた」と書いた。しかし、下人げにんは、雨がやんでも格別かくべつどうしようと云ふ當てはない。ふだんなら、勿論もちろん、主人の家へ歸る可き筈である。所ところがその主人からは、四五日前に暇ひまを出だされた。前にも書いたやうに、當時たうじ京都きやうとの町は一通りならず衰微すゐびしてゐた。今この下人が、永年ながねん、使はれてゐた主人から、暇ひまを出されたのも、この衰微の小さな餘波に外ならない。だから「下人が雨あめやみを待つてゐた」と云いふよりも、「雨にふりこめられた下人が、行ゆき所どころがなくて、途方にくれてゐた」と云ふ方が、適當てきたうである。その上、今日の空模樣そらもやうも少からずこの平安朝へいあんてうの下人の Sentimentalisme に影響えいきやうした。申さるの刻下りからふり出した雨は、未に上あがるけしきがない。そこで、下人は、何を措いても差當さしあたり明日の暮くらしをどうにかしようとして――云はゞどうにもならない事ことを、どうにかしようとして、とりとめもない考かんがへをたどりながら、さつきから朱雀大路すじやくおはぢにふる雨の音を、聞くともなく聞いてゐた。
 雨は、羅生門らしやうもんをつゝんで、遠とほくから、ざあつと云ふ音をあつめて來る。夕闇は次第に空を低くして、見上みあげると、門の屋根が、斜につき出した甍いらか[#「甍の」は底本では「薨の」]先さきに、重たくうす暗くらい雲くもを支へてゐる。
 どうにもならない事を、どうにかする爲には、手段しゆだんを選んでゐる遑いとまはない。選んでゐれば、築土ついぢの下か、道ばたの土の上で、饑死うゑじにをするばかりである。さうして、この門の上へ持つて來て、犬いぬのやうに棄すてられてしまふばかりである。選えらばないとすれば――下人の考へは、何度なんども同じ道を低徊した揚句あげくに、やつとこの局所へ逢着はうちやくした。しかしこの「すれば」は、何時いつまでたつても、結局「すれば」であつた。下人は、手段しゆだんを選ばないといふ事を肯定こうていしながらも、この「すれば」のかたをつける爲に、當然たうぜん、その後に來る可き「盗人ぬすびとになるより外に仕方しかたがない」と云ふ事を、積極的せきゝよくてきに肯定する丈の、勇氣が出ずにゐたのである。
 下人は、大きな嚏くさめをして、それから、大儀さうに立上つた。夕冷ゆふひえのする京都は、もう火桶ひをけが欲しい程の寒さである。風は門の柱はしらと柱との間を、夕闇と共に遠慮なく、吹きぬける。丹塗にぬりの柱にとまつてゐた蟋蟀きり/″\すも、もうどこかへ行つてしまつた。
 下人は、頸をちゞめながら、山吹の汗衫かざみに重ねた、紺の襖の肩を高たかくして門のまはりを見まはした。雨風あめかぜの患のない、人目にかゝる惧のない、一晩ばん樂らくにねられさうな所があれば、そこでともかくも、夜よを明あ[#ルビの「あ」は底本では「あか」]かさうと思つたからである。すると、幸門の上の樓ろうへ上る、幅の廣い、之も丹を塗つた梯子はしごが眼についた。上うへなら、人がゐたにしても、どうせ死人しにんばかりである。下人は、そこで腰にさげた聖柄ひぢりづかの太刀が鞘走らないやうに氣をつけながら、藁草履わらざうりをはいた足を、その梯子の一番下ばんしたの段へふみかけた。
 それから、何分なんぷんかの後である。羅生門の樓の上へ出る、幅はゞの廣い梯子の中段に、一人の男が、猫ねこのやうに身をちゞめて、息いきを殺しながら、上の容子ようすを窺つてゐた。樓の上からさす火ひの光ひかりが、かすかに、その男の右の頬ほゝをぬらしてゐる。短い鬚ひげの中に、赤く膿を持つた面皰にきびのある頬である。下人は、始めから、この上にゐる者は、死人しにんばかりだと高を括つてゐた。それが、梯子はしごを二三段上つて見ると、上では誰か火ひをとぼして、しかもその火を其處此處そこゝこと動うごかしてゐるらしい。これは、その濁つた、黄いろい光が、隅々すみ/″\に蜘蛛の巣をかけた天井裏に、ゆれながら映うつつたので、すぐにそれと知れたのである。この雨の夜に、この羅生門の上で、火をともしてゐるからは、どうせ唯の者ではない。
 下人は、守宮やもりのやうに足音をぬすんで、やつと急きふな梯子を、一番上の段まで這ふやうにして上りつめた。さうして體からだを出來る丈、平にしながら、頸くびを出來る丈、前へ出して、恐おそる恐る、樓の内を覗のぞいて見た。
 見ると、樓の内には、噂うはさに聞いた通り、幾つかの屍骸しがいが、無造作むざうさに棄てゝあるが、火の光の及ぶ範圍はんゐが、思つたより狹いので、數かずは幾つともわからない。唯、おぼろげながら、知れるのは、その中に裸はだかの屍骸と、着物きものを着た屍骸とがあると云ふ事である。勿論もちろん、中には女も男もまじつてゐるらしい。さうして、その屍骸は皆、それが、甞、生きてゐた人間だと云ふ事實じゞつさへ疑はれる程、土を捏ねて造つた人形にんぎやうのやうに、口を開あいたり手を延ばしたりしてごろごろ床ゆかの上にころがつてゐた。しかも、肩とか胸むねとかの高くなつてゐる部分ぶゞんに、ぼんやりした火の光をうけて、低くなつてゐる部分の影を一層そう暗くらくしながら、永久に唖おしの如く默だまつていた。
 下人は、それらの屍骸の腐爛ふらんした臭氣に思はず、鼻はなを掩つた。しかし、その手は、次の瞬間しゆんかんには、もう鼻を掩ふ事を忘れてゐた。或る強い感情かんじやうが、殆悉この男の嗅覺を奪つてしまつたからである。
 下人の眼は、その時、はじめて、其その屍骸しがいの中に蹲つている人間を見た。檜肌色ひはだいろの着物を著た、背の低い、痩せた、白髮頭しらがあたまの、猿のやうな老婆である。その老婆は、右の手に火をともした松まつの木片を持つて、その屍骸しがいの一つの顏を覗きこむやうに眺ながめてゐた。髮の毛の長い所を見ると、多分たぶん女をんなの屍骸であらう。
 下人は、六分の恐怖きやうふと四分の好奇心とに動かされて、暫時は呼吸いきをするのさへ忘れてゐた。舊記の記者きしやの語を借りれば、「頭身とうしんの毛も太る」やうに感じたのである。すると、老婆らうばは、松の木片を、床板の間に挿さして、それから、今まで眺めてゐた屍骸の首に兩手りやうてをかけると、丁度、猿の親が猿の子の虱しらみをとるやうに、その長い髮かみの毛けを一本づゝ拔きはじめた。髮は手に從したがつて拔けるらしい。
 その髮の毛が、一本ずゝ拔ぬけるのに從つて下人の心こゝろからは、恐怖が少しづつ消えて行つた。さうして、それと同時どうじに、この老婆に對するはげしい憎惡ぞうをが、少しづゝ動いて來た。――いや、この老婆らうばに對すると云つては、語弊ごへいがあるかも知れない。寧、あらゆる惡に對する反感はんかんが、一分毎に強さを増して來たのである。この時、誰たれかがこの下人に、さつき門もんの下でこの男が考へてゐた、饑死うゑじにをするか盗人になるかと云ふ問題を、改めて持出もちだしたら、恐らく下人は、何の未練みれんもなく、饑死を選んだ事であらう。それほど、この男をとこの惡を憎む心は、老婆の床ゆかに挿した松の木片のやうに、勢よく燃もえ上あがり出してゐたのである。
 下人には、勿論、何故老婆が死人しにんの髮の毛を拔ぬくかわからなかつた。從つて、合理的がふりてきには、それを善惡の何れに片かたづけてよいか知らなかつた。しかし下人にとつては、この雨あめの夜よに、この羅生門の上で、死人の髮の毛けを拔くと云ふ事が、それ丈で既に許ゆるす可らざる惡であつた。勿論、下人げにんは、さつき迄自分が、盗人になる氣でゐた事なぞは、とうに忘れてゐるのである。
 そこで、下人は、兩足りやうあしに力を入れて、いきなり、梯子はしごから上へ飛び上つた。さうして聖柄ひぢりづかの太刀に手をかけながら、大股おおまたに老婆の前へ歩みよつた。老婆が驚いたのは、云ふ迄もない。
 老婆は、一目下人を見ると、まるで弩いしゆみにでも弾かれたやうに、飛び上つた。
「おのれ、どこへ行く。」
 下人は、老婆が屍骸しがいにつまづきながら、慌あはてふためいて逃げようとする行手を塞いで、こう罵のゝしつた。老婆は、それでも下人をつきのけて行ゆかうとする。下人は又、それを行かすまいとして、押おしもどす。二人は屍骸しがいの中で、暫、無言むごんのまゝ、つかみ合つた。しかし勝敗しようはいは、はじめから、わかつている。下人はとうとう、老婆の腕うでをつかんで、無理にそこへ※(「てへん+丑」、第4水準2-12-93)ねぢ倒たほした。丁度、鷄とりの脚のやうな、骨と皮ばかりの腕である。
「何をしてゐた。さあ何をしてゐた。云へ。云はぬと、これだぞよ。」
 下人は、老婆らうばをつき放すと、いきなり、太刀たちの鞘さやを拂つて、白い鋼はがねの色をその眼の前へつきつけた。けれども、老婆は默つてゐる。兩手りやうてをわなわなふるはせて、肩で息いきを切りながら、眼を、眼球がんきうが※(「目+匡」、第3水準1-88-81)まぶたの外へ出さうになる程、見開いて、唖のやうに執拗しうねく默つてゐる。これを見ると、下人は始はじめて明白にこの老婆の生死が、全然、自分の意志いしに支配されてゐると云ふ事を意識いしきした。さうして、この意識は、今いままではげしく燃えてゐた憎惡の心を何時いつの間にか冷さましてしまつた。後あとに殘つたのは、唯、或ある仕事しごとをして、それが圓滿ゑんまんに成就した時の、安らかな得意とくいと滿足とがあるばかりである。そこで、下人は、老婆らうばを見下しながら、少し聲を柔やはらげてかう云つた。
「己は檢非違使けびゐしの廳の役人などではない。今し方この門もんの下を通とほりかゝつた旅の者だ。だからお前に繩なわをかけて、どうしようと云ふやうな事はない。唯たゞ、今時分、この門の上で、何なにをして居たのだか、それを己に話はなししさへすればいいのだ。」
 すると、老婆は、見開みひらいてゐた眼を、一層大そうおほきくして、ぢつとその下人の顏かほを見守つた。※(「目+匡」、第3水準1-88-81)の赤くなつた、肉食鳥のやうな、鋭するどい眼で見たのである。それから、皺しはで、殆、鼻と一つになつた唇を、何か物でも噛かんでゐるやうに動かした。細い喉で、尖つた喉佛のどぼとけの動いてゐるのが見える。その時、その喉のどから、鴉からすの啼くやうな聲が、喘ぎ喘ぎ、下人の耳みゝへ傳はつて來た。
「この髮を拔いてな、この女の髮を拔いてな、鬘かつらにせうと思うたのぢや。」
 下人は、老婆の答が存外、平凡へいぼんなのに失望した。さうして失望しつばうすると同時に、又前の憎惡が、冷な侮蔑ぶべつと一しよに、心の中へはいつて來た。すると、その氣色けしきが、先方へも通じたのであらう。老婆は、片手かたてに、まだ屍骸の頭から奪とつた長い拔け毛を持もつたなり、蟇ひきのつぶやくやうな聲で、口ごもりながら、こんな事を云つた。
 成程、死人の髮かみの毛けを拔くと云ふ事は、惡い事かも知しれぬ。しかし、かう云ふ死人の多くは、皆、その位な事ことを、されてもいゝ人間にんげんばかりである。現に、自分が今、髮かみを拔いた女などは、蛇へびを四寸ばかりづゝに切きつて干したのを、干魚ほしうをだと云つて、太刀帶たてはきの陣へ賣りに行つた。疫病にかゝつて死ななかつたなら、今でも賣りに行つてゐたかもしれない。しかも、この女をんなの賣る干魚は、味あぢがよいと云ふので、太刀帶たちが、缺かさず菜料さいれうに買つてゐたのである。自分は、この女のした事が惡わるいとは思はない。しなければ、饑死うゑじにをするので、仕方しかたがなくした事だからである。だから、又今、自分じぶんのしてゐた事も惡い事とは思おもはない。これもやはりしなければ、饑死うゑじにをするので、仕方がなくする事だからである。さうして、その仕方がない事を、よく知つてゐたこの女は、自分のする事を許ゆるしてくれるのにちがひないと思おもふからである。――老婆は、大體こんな意味の事を云つた。
 下人は、太刀を鞘さやにおさめて、その太刀の柄を左ひだりの手てでおさへながら、冷然として、この話を聞いてゐた。勿論、右みぎの手てでは、赤く頬ほゝに膿うみを持つた大きな面皰を氣きにしながら、聞いてゐるのである。しかし、之を聞きいてゐる中に、下人の心には、或ある勇氣ゆうきが生まれて來た。それは、さつき、門もんの下したでこの男に缺けてゐた勇氣である。さうして、又またさつき、この門の上うへへ上あがつて、この老婆を捕へた時の勇氣とは、全然ぜん/″\、反對な方向に動うごかうとする勇氣である。下人は、饑死をするか盗人ぬすびとになるかに迷はなかつたばかりではない。その時ときのこの男の心もちから云へば、饑死うゑじになどと云ふ事は、殆、考かんがへる事さへ出來ない程、意識の外に追ひ出されてゐた。
「きつと、そうか。」
 老婆の話が完ると、下人は嘲あざけるやうな聲で念ねんを押した。さうして、一足あし前まへへ出ると、不意ふいに、右の手を面皰から離して、老婆の襟上えりがみをつかみながら、かう云つた。
「では、己が引剥ひはぎをしようと恨むまいな。己もさうしなければ、饑死をする體なのだ。」
 下人は、すばやく、老婆の着物きものを剥ぎとつた。それから、足あしにしがみつかうとする老婆を、手荒てあらく屍骸の上へ蹴倒けたほした。梯子の口までは、僅わづかに五歩を數へるばかりである。下人は、剥はぎとつた檜肌色の着物きものをわきにかゝへて、またゝく間に急な梯子を夜の底へかけ下りた。
 暫しばらく、死んだやうに倒れてゐた老婆が、屍骸の中なかから、その裸はだかの體を起したのは、それから間まもなくの事である。老婆は、つぶやくやうな、うめくやうな聲を立てながら、まだ燃もえてゐる火の光をたよりに、梯子はしごの口まで、這つて行つた。さうして、そこから、短い白髮しらがを倒にして、門の下を覗のぞきこんだ。外には、唯、黒洞々たる夜があるばかりである。
 下人は、既に、雨あめを冐をかして、京都の町へ強盗を働きに急いでゐた。
――四年九月――




底本:「新選 名著復刻全集 近代文学館 芥川龍之介著 羅生門 阿蘭陀書房版」ほるぷ出版
   1976(昭和51)年4月1日発行
※疑問点の確認にあたっては、「日本の文学33 羅生門」ほるぷ出版、1984(昭和59)年8月1日初版第1刷発行を参照しました。
入力:j.utiyama
校正:もりみつじゅんじ、野口英司
1999年6月9日公開
2010年11月4日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp...
^207 絶対勝利の騎士 サザナミ 2019/03/29 04:26:29
あれ、羅生門のままだ
-277 士官 ルスラン 2019/03/29 04:30:10
-278 紅の遊撃隊 シャルロッテ 2019/03/29 04:41:21
原住民(ただし身内村出身)
-279 士官 ルスラン 2019/03/29 04:43:26
んんーんーー
COして護衛して、村に協力するから護衛してもらうか…?
いやいや。護衛貫通の人が居るし無理だな
士官 ルスラン は 学園伝説 リーネリス を襲撃します。
士官 ルスラン は 絶対勝利の騎士 サザナミ を襲撃します。
-280 士官 ルスラン 2019/03/29 04:46:26
COして護衛してってなんだ COしてだな
士官 ルスラン は襲撃対象選択を取り消します。
士官 ルスラン は ネットアイドル アリス を襲撃します。
-281 士官 ルスラン 2019/03/29 04:57:26
明日はこの人きしよう
^208 絶対勝利の騎士 サザナミ 2019/03/29 04:58:41
虞美人草
夏目漱石



        一

「随分遠いね。元来がんらいどこから登るのだ」
と一人ひとりが手巾ハンケチで額ひたいを拭きながら立ち留どまった。
「どこか己おれにも判然せんがね。どこから登ったって、同じ事だ。山はあすこに見えているんだから」
と顔も体躯からだも四角に出来上った男が無雑作むぞうさに答えた。
 反そりを打った中折れの茶の廂ひさしの下から、深き眉まゆを動かしながら、見上げる頭の上には、微茫かすかなる春の空の、底までも藍あいを漂わして、吹けば揺うごくかと怪しまるるほど柔らかき中に屹然きつぜんとして、どうする気かと云いわぬばかりに叡山えいざんが聳そびえている。
「恐ろしい頑固がんこな山だなあ」と四角な胸を突き出して、ちょっと桜の杖つえに身を倚もたせていたが、
「あんなに見えるんだから、訳わけはない」と今度は叡山えいざんを軽蔑けいべつしたような事を云う。
「あんなに見えるって、見えるのは今朝けさ宿を立つ時から見えている。京都へ来て叡山が見えなくなっちゃ大変だ」
「だから見えてるから、好いじゃないか。余計な事を云わずに歩行あるいていれば自然と山の上へ出るさ」
 細長い男は返事もせずに、帽子を脱いで、胸のあたりを煽あおいでいる。日頃ひごろからなる廂ひさしに遮さえぎられて、菜の花を染め出す春の強き日を受けぬ広き額ひたいだけは目立って蒼白あおしろい。
「おい、今から休息しちゃ大変だ、さあ早く行こう」
 相手は汗ばんだ額を、思うまま春風に曝さらして、粘ねばり着いた黒髪の、逆さかに飛ばぬを恨うらむごとくに、手巾ハンケチを片手に握って、額とも云わず、顔とも云わず、頸窩ぼんのくぼの尽くるあたりまで、くちゃくちゃに掻かき廻した。促うながされた事には頓着とんじゃくする気色けしきもなく、
「君はあの山を頑固がんこだと云ったね」と聞く。
「うむ、動かばこそと云ったような按排あんばいじゃないか。こう云う風に」と四角な肩をいとど四角にして、空あいた方の手に栄螺さざえの親類をつくりながら、いささか我も動かばこその姿勢を見せる。
「動かばこそと云うのは、動けるのに動かない時の事を云うのだろう」と細長い眼の角かどから斜ななめに相手を見下みおろした。
「そうさ」
「あの山は動けるかい」
「アハハハまた始まった。君は余計な事を云いに生れて来た男だ。さあ行くぜ」と太い桜の洋杖ステッキを、ひゅうと鳴らさぬばかりに、肩の上まで上げるや否いなや、歩行あるき出した。瘠やせた男も手巾ハンケチを袂たもとに収めて歩行き出す。
「今日は山端やまばなの平八茶屋へいはちぢゃやで一日いちんち遊んだ方がよかった。今から登ったって中途半端はんぱになるばかりだ。元来がんらい頂上まで何里あるのかい」
「頂上まで一里半だ」
「どこから」
「どこからか分るものか、たかの知れた京都の山だ」
 瘠やせた男は何にも云わずににやにやと笑った。四角な男は威勢よく喋舌しゃべり続ける。
「君のように計画ばかりしていっこう実行しない男と旅行すると、どこもかしこも見損みそこなってしまう。連つれこそいい迷惑だ」
「君のようにむちゃに飛び出されても相手は迷惑だ。第一、人を連れ出して置きながら、どこから登って、どこを見て、どこへ下りるのか見当けんとうがつかんじゃないか」
「なんの、これしきの事に計画も何もいったものか、たかがあの山じゃないか」
「あの山でもいいが、あの山は高さ何千尺だか知っているかい」
「知るものかね。そんな下らん事を。――君知ってるのか」
「僕も知らんがね」
「それ見るがいい」
「何もそんなに威張らなくてもいい。君だって知らんのだから。山の高さは御互に知らんとしても、山の上で何を見物して何時間かかるぐらいは多少確めて来なくっちゃ、予定通りに日程は進行するものじゃない」
「進行しなければやり直すだけだ。君のように余計な事を考えてるうちには何遍でもやり直しが出来るよ」となおさっさと行く。瘠やせた男は無言のままあとに後おくれてしまう。
 春はものの句になりやすき京の町を、七条から一条まで横に貫つらぬいて、煙けぶる柳の間から、温ぬくき水打つ白き布ぬのを、高野川たかのがわの磧かわらに数え尽くして、長々と北にうねる路みちを、おおかたは二里余りも来たら、山は自おのずから左右に逼せまって、脚下に奔はしる潺湲せんかんの響も、折れるほどに曲るほどに、あるは、こなた、あるは、かなたと鳴る。山に入りて春は更ふけたるを、山を極きわめたらば春はまだ残る雪に寒かろうと、見上げる峰の裾すそを縫ぬうて、暗き陰に走る一条ひとすじの路に、爪上つまあがりなる向うから大原女おはらめが来る。牛が来る。京の春は牛の尿いばりの尽きざるほどに、長くかつ静かである。
「おおい」と後れた男は立ち留どまりながら、先さきなる友を呼んだ。おおいと云う声が白く光る路を、春風に送られながら、のそり閑かんと行き尽して、萱かやばかりなる突き当りの山にぶつかった時、一丁先きに動いていた四角な影ははたと留った。瘠せた男は、長い手を肩より高く伸のして、返れ返れと二度ほど揺ゆすって見せる。桜の杖つえが暖かき日を受けて、またぴかりと肩の先に光ったと思う間まもなく、彼は帰って来た。
「何だい」
「何だいじゃない。ここから登るんだ」
「こんな所から登るのか。少し妙だぜ。こんな丸木橋まるきばしを渡るのは妙だぜ」
「君見たようにむやみに歩行あるいていると若狭わかさの国へ出てしまうよ」
「若狭へ出ても構わんが、いったい君は地理を心得ているのか」
「今大原女に聴きいて見た。この橋を渡って、あの細い道を向むこうへ一里上がると出るそうだ」
「出るとはどこへ出るのだい」
「叡山えいざんの上へさ」
「叡山の上のどこへ出るだろう」
「そりゃ知らない。登って見なければ分らないさ」
「ハハハハ君のような計画好きでもそこまでは聞かなかったと見えるね。千慮の一失か。それじゃ、仰おおせに従って渡るとするかな。君いよいよ登りだぜ。どうだ、歩行あるけるか」
「歩行けないたって、仕方がない」
「なるほど哲学者だけあらあ。それで、もう少し判然すると一人前いちにんまえだがな」
「何でも好いから、先へ行くが好い」
「あとから尾ついて来るかい」
「いいから行くが好い」
「尾いて来る気なら行くさ」
 渓川たにがわに危うく渡せる一本橋を前後して横切った二人の影は、草山の草繁き中を、辛かろうじて一縷いちるの細き力に頂いただきへ抜ける小径こみちのなかに隠れた。草は固もとより去年の霜しもを持ち越したまま立枯たちがれの姿であるが、薄く溶けた雲を透とおして真上から射し込む日影に蒸むし返されて、両頬りょうきょうのほてるばかりに暖かい。
「おい、君、甲野こうのさん」と振り返る。甲野さんは細い山道に適当した細い体躯からだを真直まっすぐに立てたまま、下を向いて
「うん」と答えた。
「そろそろ降参しかけたな。弱い男だ。あの下を見たまえ」と例の桜の杖を左から右へかけて一振りに振り廻す。
 振り廻した杖の先の尽くる、遥はるか向うには、白銀しろかねの一筋に眼を射る高野川を閃ひらめかして、左右は燃え崩くずるるまでに濃く咲いた菜の花をべっとりと擦なすり着けた背景には薄紫うすむらさきの遠山えんざんを縹緲ひょうびょうのあなたに描えがき出してある。
「なるほど好い景色けしきだ」と甲野さんは例の長身を捩ねじ向けて、際きわどく六十度の勾配こうばいに擦り落ちもせず立ち留っている。
「いつの間まに、こんなに高く登ったんだろう。早いものだな」と宗近むねちか君が云う。宗近君は四角な男の名である。
「知らぬ間に堕落したり、知らぬ間に悟ったりするのと同じようなものだろう」
「昼が夜になったり、春が夏になったり、若いものが年寄りになったり、するのと同じ事かな。それなら、おれも疾とくに心得ている」
「ハハハハそれで君は幾歳いくつだったかな」
「おれの幾歳より、君は幾歳だ」
「僕は分かってるさ」
「僕だって分かってるさ」
「ハハハハやっぱり隠す了見りょうけんだと見える」
「隠すものか、ちゃんと分ってるよ」
「だから、幾歳なんだよ」
「君から先へ云え」と宗近君はなかなか動じない。
「僕は二十七さ」と甲野君は雑作ぞうさもなく言って退のける。
「そうか、それじゃ、僕も二十八だ」
「だいぶ年を取ったものだね」
「冗談じょうだんを言うな。たった一つしか違わんじゃないか」
「だから御互にさ。御互に年を取ったと云うんだ」
「うん御互にか、御互なら勘弁するが、おれだけじゃ……」
「聞き捨てにならんか。そう気にするだけまだ若いところもあるようだ」
「何だ坂の途中で人を馬鹿にするな」
「そら、坂の途中で邪魔になる。ちょっと退どいてやれ」
 百折ももおれ千折ちおれ、五間とは直すぐに続かぬ坂道を、呑気のんきな顔の女が、ごめんやすと下りて来る。身の丈たけに余る粗朶そだの大束を、緑みどり洩もる濃き髪の上に圧おさえ付けて、手も懸かけずに戴いただきながら、宗近君の横を擦すり抜ける。生おい茂しげる立ち枯れの萱かやをごそつかせた後うしろ姿の眼めにつくは、目暗縞めくらじまの黒きが中を斜はすに抜けた赤襷あかだすきである。一里を隔へだてても、そこと指さす指ゆびの先に、引っ着いて見えるほどの藁葺わらぶきは、この女の家でもあろう。天武天皇の落ちたまえる昔のままに、棚引たなびく霞かすみは長とこしえに八瀬やせの山里を封じて長閑のどかである。
「この辺の女はみんな奇麗きれいだな。感心だ。何だか画えのようだ」と宗近君が云う。
「あれが大原女おはらめなんだろう」
「なに八瀬女やせめだ」
「八瀬女と云うのは聞いた事がないぜ」
「なくっても八瀬の女に違ない。嘘だと思うなら今度逢あったら聞いてみよう」
「誰も嘘だと云やしない。しかしあんな女を総称して大原女と云うんだろうじゃないか」
「きっとそうか、受合うか」
「そうする方が詩的でいい。何となく雅がでいい」
「じゃ当分雅号として用いてやるかな」
「雅号は好いよ。世の中にはいろいろな雅号があるからな。立憲政体だの、万有神教だの、忠、信、孝、悌てい、だのってさまざまな奴があるから」
「なるほど、蕎麦屋そばやに藪やぶがたくさん出来て、牛肉屋がみんないろはになるのもその格だね」
「そうさ、御互に学士を名乗ってるのも同じ事だ」
「つまらない。そんな事に帰着するなら雅号は廃よせばよかった」
「これから君は外交官の雅号を取るんだろう」
「ハハハハあの雅号はなかなか取れない。試験官に雅味のある奴がいないせいだな」
「もう何遍落第したかね。三遍か」
「馬鹿を申せ」
「じゃ二遍か」
「なんだ、ちゃんと知ってる癖に。はばかりながら落第はこれでたった一遍だ」
「一度受けて一遍なんだから、これからさき……」
「何遍やるか分らないとなると、おれも少々心細い。ハハハハ。時に僕の雅号はそれでいいが、君は全体何をするんだい」
「僕か。僕は叡山へ登るのさ。――おい君、そう後足あとあしで石を転ころがしてはいかん。後あとから尾ついて行くものが剣呑けんのんだ。――ああ随分くたびれた。僕はここで休むよ」と甲野さんは、がさりと音を立てて枯薄かれすすきの中へ仰向あおむけに倒れた。
「おやもう落第か。口でこそいろいろな雅号を唱となえるが、山登りはから駄目だね」と宗近君は例の桜の杖つえで、甲野さんの寝ねている頭の先をこつこつ敲たたく。敲くたびに杖の先が薄を薙なぎ倒してがさがさ音を立てる。
「さあ起きた。もう少しで頂上だ。どうせ休むなら及第してから、ゆっくり休もう。さあ起きろ」
「うん」
「うんか、おやおや」
「反吐へどが出そうだ」
「反吐を吐いて落第するのか、おやおや。じゃ仕方がない。おれも一ひと休息やすみ仕つかまつろう」
 甲野さんは黒い頭を、黄ばんだ草の間に押し込んで、帽子も傘かさも坂道に転がしたまま、仰向あおむけに空を眺ながめている。蒼白あおじろく面高おもだかに削けずり成なせる彼の顔と、無辺際むへんざいに浮き出す薄き雲の※(「條の木に代えて栩のつくり」、第3水準1-90-31)然ゆうぜんと消えて入る大いなる天上界てんじょうかいの間には、一塵の眼を遮さえぎるものもない。反吐は地面の上へ吐くものである。大空に向う彼の眼中には、地を離れ、俗を離れ、古今の世を離れて万里の天があるのみである。
 宗近君は米沢絣よねざわがすりの羽織を脱いで、袖畳そでだたみにしてちょっと肩の上へ乗せたが、また思い返して、今度は胸の中から両手をむずと出して、うんと云う間まに諸肌もろはだを脱いだ。下から袖無ちゃんちゃんが露あらわれる。袖無の裏から、もじゃもじゃした狐きつねの皮が食はみ出している。これは支那へ行った友人の贈り物として君が大事の袖無である。千羊せんようの皮は一狐いっこの腋えきにしかずと云って、君はいつでもこの袖無を一着している。その癖裏に着けた狐の皮は斑まだらにほうけて、むやみに脱落するところをもって見ると、何でもよほど性たちの悪い野良狐のらぎつねに違ない。
「御山おやまへ御登おあがりやすのどすか、案内しまほうか、ホホホ妙けったいな所とこに寝ていやはる」とまた目暗縞めくらじまが下りて来る。
「おい、甲野さん。妙な所に寝ていやはるとさ。女にまで馬鹿にされるぜ。好い加減に起きてあるこうじゃないか」
「女は人を馬鹿にするもんだ」
と甲野さんは依然として天そらを眺ながめている。
「そう泰然と尻を据すえちゃ困るな。まだ反吐へどを吐きそうかい」
「動けば吐く」
「厄介やっかいだなあ」
「すべての反吐は動くから吐くのだよ。俗界万斛ばんこくの反吐皆動どうの一字より来きたる」
「何だ本当に吐くつもりじゃないのか。つまらない。僕はまたいよいよとなったら、君を担かついで麓ふもとまで下りなけりゃならんかと思って、内心少々辟易へきえきしていたんだ」
「余計な御世話だ。誰も頼みもしないのに」
「君は愛嬌あいきょうのない男だね」
「君は愛嬌の定義を知ってるかい」
「何のかのと云って、一分いっぷんでも余計動かずにいようと云う算段だな。怪けしからん男だ」
「愛嬌と云うのはね、――自分より強いものを斃たおす柔やわらかい武器だよ」
「それじゃ無愛想ぶあいそは自分より弱いものを、扱こき使う鋭利なる武器だろう」
「そんな論理があるものか。動こうとすればこそ愛嬌も必要になる。動けば反吐を吐くと知った人間に愛嬌が入るものか」
「いやに詭弁きべんを弄ろうするね。そんなら僕は御先へ御免蒙ごめんこうむるぜ。いいか」
「勝手にするがいい」と甲野さんはやっぱり空を眺めている。
 宗近君は脱いだ両袖をぐるぐると腰へ巻き付けると共に、毛脛けずねに纏まつわる竪縞たてじまの裾すそをぐいと端折はしおって、同じく白縮緬しろちりめんの周囲まわりに畳み込む。最前袖畳にした羽織を桜の杖の先へ引き懸かけるが早いか「一剣天下を行く」と遠慮のない声を出しながら、十歩に尽くる岨路そばみちを飄然ひょうぜんとして左へ折れたぎり見えなくなった。

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