◆ 終末、マズルカの
「もうイヤだ……イヤだよぉぉ……」
夕闇の中。真っ赤な血溜まりに崩れ落ちて、マズルカは泣いた。
周囲には無数の肉片や骨片。バラバラになった手足と臓物。数刻前まで生きて動いていた生命の欠片が散らばり、いくつかは微かに蠢いている。
むせかえるほどの、血と煙と汚物の匂い。ねっとりした茶色の吐瀉物がマズルカの胸から膝に流れ、髪先まで汚している。
世界の果て。静まり返った空間。落日は近く、希望は遠い。
「また……また私は失敗した……失敗した……。嗚呼……どうか許して、ゾロ、スッピー、ラヴュ、ハーケン……許してください……許して……」
声を震わせながら、マズルカは仲間たちの名前を繰り返した。鮮血で染め変えられた床へ頭をこすりつけて、とめどない嗚咽とともに謝罪を繰り返した。
その謝罪を聞く者はいない。彼女を許してくれる者は一人もいない。皆死んでしまった。マズルカの謝罪も慟哭も懺悔も、どこにも届かない。どこにも、誰にも。神にさえも。
「どうして私が……私たちが……こんな、こんな……。うぅん、本当はわかってた、こうなるって……。そうだよね、勝てるわけないよね……ゾロ、あなたの言うとおりだった……私が馬鹿だった……」
血溜まりの中に突っ伏して、マズルカは少女の亡骸に覆いかぶさった。
その手足は千切れ飛び、破れた腹部からは腸が飛び出し、自慢だった青い髪も血と脂と肉と骨と──人体の一部だったもので汚れきっている。
誰よりも強く、賢かった仲間。心から頼りになる戦友。その力も叡智も、もう二度と見られない。
忠告を無視して無謀な戦いを挑んだ、これがマズルカの得た結末。
だが、わかっていたことだ。マズルカにはわかっていた。こうなる未来が。
「それでも……それでも、やるしかなかったの……! わかってくれるよね、ゾロ……私を許してくれるよね……? 許して……どうか許して……うぅぅ……うあああああ……っ!」
あとは言葉にならなかった。
夕闇が深くなる。
長い長い謝罪のすえ、ようやくマズルカは泣くのをやめた。
彼女には使命がある。果たさなければならない使命が。この世界をこのようにしてしまった存在を討ち滅ぼすという使命が。泣いている暇など、ない。
敵はあまりに強大で──それを倒すための仲間は、ひとり残らず失われた。頼れる仲間たちだった。マズルカより遥かに優秀な者もいた。その中の誰かが敵を討ち取ってくれると、マズルカは信じていた。
だが運命は──あるいは神は、この小さな少女に最後の試練を課すと決めたのだ。
この少女──小さなマズルカの生い立ちを知る者ならば、誰でも幸せを願わずにいられない。
暖かい食事と、服と、寝床。数人ばかりの愛する人たち。それだけあれば、マズルカは十分に幸せだった。多くは望まなかった。ささやかな望みだった。周囲の誰もが、それを知っていた。
だが神は、人間のようには彼女の幸せを望まなかった。そもそもマズルカは世界の道理を乱す魔女であり──神に抗う無法者なのだ。慈悲を乞うことさえ、認められない。誰よりもマズルカ自身が理解している。そのつもりだった。すべて覚悟の上だった。
しかし実際のところ、神の慈悲は無限だった。いかなる者も救う。これが神のやりかただった。
「……そうだよね、わかってる……ぜんぶ、ぜんぶ、私が悪いんだ。みんな私が死なせちゃったんだ……。嗚呼……ドロニアおばちゃん……カカ様……ネルドちゃん……ごめんなさい、みんな。本当に、ごめんなさい……」
溜まりきったものを絞り出すように、マズルカは呟いた。
目元を手の甲でこすりながら、ゆっくりと立ち上がる。
「なにもかも……私は何もかも失った……家族も仲間も友達も……地位も名誉も財産も……世界のほとんど全てを……なによりも、私を信じてくれた人たちの信頼を……! でも……私には、これがある……これだけは、今でも私の手に残されてるんだ……!」
血まみれの手で、マズルカは懐から一冊の書物を取り出した。
表紙に穿たれた、獰猛な爬虫類のような目。そこに反射した光が、マズルカの瞳に映る。
「やるよ、レキテイ……もう、あとに引けない……やるしかないんだ……!」
表紙を指でなぞりながら、自らに言い聞かせるようにマズルカは意志を言葉にした。
そう。これが彼女に残された最初で最後の武器。封じられた無数の『人形』が彼女の味方。幾百幾千の剣と魔法がマズルカを守り、敵を滅ぼす。それは、この世界に残された唯一の希望。
「うん……私は大丈夫。もう泣きたくても泣けないよ。泣き虫にも限界はあるんだね」
最後の涙の一滴を指先で拭い落として、マズルカは微笑んだ。
その涙の熱さを、悲しい微笑みを、しかし誰も知ることはない。誰も。
きっと彼女は敗れるだろう。それも無惨に。
だが、その戦いの記録は書の中に刻まれる。
誰も読む者の存在しない世界で。
#ルフランSS